2010年02月06日

出版1か月

本の刊行からひと月。ちみちみと営業したりしてます。
この手の本は大きな書店じゃないと置く場所ないですからね。値段も結構高めだし。
驚いたのは、amazonの「人権問題」カテゴリーで6位にランキングしたこと(2月6日19:00)。
「人権問題」本というカテがあるのも初めて知りましたが、1位の辛淑玉・野中広務さんをはじめ、塩見鮮一郎さんとか濃厚な方が沢山で恐れ多い。私の上は小林よしのりさんだし。

amazonではすでに2件の書評を頂いていて、その影響もあったのでしょう。ありがたいことです。
書評を頂いたお二人とも直接存じ上げないのですが、「浦辺登」さんという方はネット書評では知られた方だそうです。
「まだこの国のマスコミは骨の髄から腐ってはいないことを実感」という言葉を頂戴しました。「表には出てこないかもしれないが、いろいろと政治的にも圧力があったのではと思える」ともありまして、これについては、ハイ、ありました。とお答えしておきます(苦笑)。ちなみにこの方にはBK1にも書評を頂いているのですが、こちらはまた違う文章でありまして本当に頭が下がります。

もう一人の方には「過ちを素直に認め、現状を正しく認識することから問題の解決が始まるという教訓を忘れてはならない。それは官僚組織だけでなく、多くの民間企業にもあてはまる。そして中国やインドなど高度経済成長期を迎えている新興国の人たちにもこの本で書かれている内容が伝わってほしい」と書いて頂いて、まさに本を通して訴えたかったことの一つです。ありがとうございます。

また1月26日付の「熊本日日新聞」朝刊に2段の囲み記事で載りました。本と私の顔写真付き。リンク張りましたが会員登録制なので引用しておきます。
「NHK記者が「なぜ水俣病は解決できないのか」を出版
 1991年のNHK入局以来、水俣病問題の取材を続ける東島大記者(43)=北九州放送局=が「なぜ水俣病は解決できないのか」=写真=を弦書房(福岡市)から出版した。題名の問いに対する関係者の答えが詰まっている。
 水俣病の公式確認から50年を迎えた2006年、東島記者ら当時の熊本放送局のチームが制作し、50回にわたって放映したインタビュー番組「水俣病証言録」が土台。これに東島記者の追加取材分を補足、再構成した。
 登場するのは被害者や支援者、研究者、原因企業チッソ関係者ら47人。水俣病問題にかかわる代表的存在の人たちばかりで東島記者は「詳しくない人が水俣病問題を知り、何が問題なのか理解してもらえる」と言う。巻末には1906年から09年9月までの主要な出来事を収録。単なる年表に終わらず、ボリュームのある解説が加えてあり、資料性も高い。販売価格は2205円。(石貫謹也)」
石貫さん、ありがとうございます。

それから、明日の長崎新聞の書評欄に紹介記事が載るそうです。長崎の方、ご覧下さいませ。


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posted by 紅灯 at 21:14| 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

発売開始!

ついにというか、やっとというか、とにもかくにも出ました。
拙著「なぜ水俣病は解決できないのか」(弦書房刊)発売です。

あー長かった。
本一冊出すのって大変なんだなあ、と十分に思わせてくれるこの2年間でした。
やっぱり一人でも多くの人に手にとって貰えればうれしい、なんて思ってしまいますが、実はそれどころじゃない。
一定の割合売れないと、出版社が赤字になってしまうのです。
水俣病なんて売れそうにもない本を引き受けて頂いた以上、さらなる迷惑はかけられません。
ほっとしたのもつかの間、次は営業だっ!

といっても私ができることといえば限られているのですが。
とりあえず左のサイドバー、リンクをamazonに張りました。
書名をポチッとクリックすれば、ポーッンと売り場へ行けます。

あ、amazonの表示が「在庫切れ」となっていますが、ちゃんとありますからね。
amazonの和書のコーナーではこういうことが多いらしくて、出版社の方も誤表示にならないようにと手続きして頂いたのですが、まだ改善されてないようです。
在庫はちゃんとありますのでご安心下さい(在庫喜んでどうする)。
何はともあれ何卒よろしくお願いします。

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posted by 紅灯 at 21:15| 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月11日

怒濤の年末年始と水俣病研究集会

新年のご挨拶もしないうちにもう中旬、大変不義理をしてしまいましたが、当ブログ、今年もよろしくお願いします。

それにしても年末からきのうまで怒濤というか津波のような騒ぎでした。
本の校正がようやく終わり、装丁含めて私の手を離れたと思ったら特番のオンエア、そのまま大晦日まで仕事場に缶詰。大晦日の晩には抜け出して帰省してきた友人と飲んだりしちゃったんですが。
正月2日3日4日と気が抜けたようにぼんやりしていたものの(ようやく「新参者」読みました。面白かった)、気がつくと水俣病事件研究発表集会がもう目前。特措法について発表しなきゃいけないのに何もやってないとバタバタ。パワーポイントの使い方から始めたりして(だっていつも「プレゼン」はTVなので)。

8日の深夜、本業の終了後夜行に乗って熊本へ。で翌日水俣。
迎えた水俣病事件研究発表集会。用意した席が足りなくなったくらいだから、この手の学会みたいなものとしてはなかなかの盛況ぶり。時期が時期なので、マスコミも各社取材に来てる。発表によっては立命館の木野茂先生らの厳しい突っ込みもあったりしまして、報告者の私としては結構緊張しましたが、無事終了。持ち時間の20分をフルに使い切りました。

で、もう一つの目的であるところの私の本の宣伝、これが嬉しい誤算となったのであります。
印刷があがるのがぎりぎり前日になった事情で、当日印刷所から会場へ直接本が運び込まれ、私にとっても自著との初対面ははこの日です。
本を手に取り、紙の感触を味わって「やっと本になった」と思ったのもつかの間、本は私の手を離れ、会場の書籍販売コーナーへ。
段取りでは私の発表の時に宣伝する予定だったですが、ところが20冊ほどの本は発表前の休憩時間にすべて完売してしまいました。書店の方からは「もうないの?」と聞かれるし、コーディネートの先生が私の紹介の時に「本を会場で売ってます」とおっしゃって頂いたもののその時すでに売る本はなくあわてて壇上から「すみません、もうないです」と頭を下げて……という次第。
私自身も著者分が頂けるのは今週13日になっていますので、余れば会場で一冊買おうかと思ったのですが、足りない状態ですから当然お客様優先。
結局、会場には私の本を持っている人が何人もいるのに、著者自身は持ってない、見たけりゃ買って頂いた方に貸してもらわなくちゃいけないという妙な事態になってしまいました。
なので、本が完成した!という意識がいまだに希薄です。

おそらく一人でこそっと乾杯して肩の荷を下ろすのは、著者分が貰えてからということになるんでしょうね。
書店に出回るのは今週末から18日頃になるとのことでした。

それからもう一つ。
本を買って頂けるのはもう本当に嬉しいのでありまして、もう肩でも足でも揉んで差し上げたいところなのですが、「本にサインしろ」というのはどうかやめて下さいませ。恥ずかしくて恥ずかしくて汗びっしょり。本番の発表より緊張したくらいです。どうしてもということであれば、本を落とした時に備えて、後ろにご自身の名前と連絡先を私が書いてあげる、ということでどうでしょうか。



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posted by 紅灯 at 16:21| 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月23日

予期せぬ励まし

以前ここに書いた本の原稿の執筆が滞っている。
ここのところやたらめったら忙しくてなかなか手が付けられなかったという言い訳はあるんだけど、でも年明けてずっと忙しいからなあ。言い訳にならない。
編集者のOさんからは、5月中になんとか形にして欲しいといわれてて、「まだ時間あるからダイジョウブ」などと思っていたら、やっぱりの惨状。予感はしていましたが。
「ああ、どうしよう」などとぶつぶつ逃避ばかりしていたら、全く予期しなかった励ましがきた。

石牟礼道子さんである。
石牟礼さんといえば、水俣病の書籍にこれ以上のものがあるかといわれる「苦海浄土」の作者である。水俣病と言えば真っ先にこの本を思い浮かべる人も多い。
近著「アニマの鳥」も、「殯の森」の河瀬直美監督が映画化を考えているなど現役の大御所である。
その石牟礼さんにいきなり電話で褒められてしまった。
今回の本の元になる、私が一年間雑誌に連載した原稿を読んで下さって、「とてもいい」とおっしゃってくれたのだ。
「紅灯さん、あれね、私もう何度も読みましたよ。繰り返し繰り返し。最近読んだものの中で一番良かった」
そして、水俣病について「私の知らないことも沢山書いてある」ともおっしゃってくれた。
当たり前の話だけど、私の文章なんて、水俣病の知識なんて、石牟礼さんの足もとどころか地平線の向こうまで走っていったって届かない。
過分な褒め言葉に、比喩じゃなく冷や汗が出た。
連載を本にしようとしていることを知ってるので、大先輩として少し活を入れてやろうと思われたのだろう。
原稿を前にげんなりしている私を想像できたのかもしれない。

でも嬉しかった。文字通り勇気百倍。
石牟礼道子さんに褒められた、なんてこんなに自慢できることがあるだろうか。
がんばろう。
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2009年03月20日

僕は闘う

以前のブログにも書いたけれども、与党が水俣病特別措置法なるものを国会に提出している。
水俣病被害者の救済を名目に、国・熊本県・チッソの免罪を目指したどうにも姑息きわまる法案だ。
「被害者の救済を名目に」って書いたけど、それすら怪しくなっていることは以前のブログに書いた。わざわざ「前文」をつけて「これは被害者のための法律だ」って言わないと訳がわからなくなってる。

何よりこの法案、被害者側には何の相談もしていないのだ。法案を提出するまでに2年くらいかかっているが、その間、被害者側とはまったく協議をしていない。ひたすらチッソの会長と水面下で話を続けただけ。
「被害者救済」と銘打った和解案をまとめるのに、被害者側の意見を全く聞かないなんて信じられるだろうか?
信じられないことだけど、その信じられないことが堂々とまかり通っているのだ。
水俣病のことは全然わからない人だって、この経過を見れば、こんなもの「救済」でもなんでもないことはわかるだろう。

ところが「救済」という名前を最大限利用しようとばかりに、熊本県などは「早くこの案で患者を救って欲しい」などとしらじらしいことを言って国会に知事が陳情したりしている。
マスコミだってそうだ。地元メディアはともかく、東京のメディアなどはこうした経緯を全く取材せずに、ただ「救済」を鵜呑みにして「被害者救済法案、国会提出。民主党反対で難航か」などと平気で書いている。

もう無茶苦茶である。
あんまりひどい状況に沢山の人が怒っている。
複数の患者団体が立場を超えて法案の撤回を求める共同声明を出した。
その賛同人になってほしいという呼びかけが私の所にもきた。
普段はこうした依頼は丁重にお断りしているのだけれど、今回ばかりはそんなことは言っていられない。
しっかりと名前を出すことになった。
これでどういう影響があるかどうかわからない。
でもたとえどんなに叩かれることになろうと身を引いてはいけない時がある。
それはきっと今だ。



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2009年03月06日

無責任男の底抜け大作戦

文章を書いたり、映像を編集したり、いろんなモノを作る作業で欠かせないのがタイトルだ。
気の利いたタイトルを付けるのはもちろんだけど、単刀直入の味気ないタイトルだろうがなんだろうが、それがないと中身がわからない。要するに識別できない。必須である。

何を当たり前のことをいってるのかと言われそうだけど、そこで水俣病なのである。
自民党が水俣病特別措置法というのをまとめて来週国会に提出することをきょう決めた。
決めたのだけれど、きょうの段階になって公明党と熊本県が言い出したのだ。
「これ、水俣病の被害者を救済する法律だってどっかに書いておいたほうがいいんじゃない?」と。
そうなのだ。この法律が成立しても被害者たちは沢山切り捨てられそうな気配である。実際きょう、被害者の人たちは会見を開いて烈火の如く怒っていた。
それならこの法律なんなのかというと、これが成立するとチッソが分社化するのである。
分社化とは何かというと、水俣病を引き起こした黒チッソと、今液晶原料とかで大もうけしている白チッソに分けて、黒チッソが白チッソの株を持つ。黒チッソは白の株を売って売却益を補償に当て、消滅する。
残った白チッソは水俣病と何の関係もございませんということになって、どっかに買収されて優良企業となり、大手を振って歩けるわけである。
チッソ100年の悲願である。
この法律が成立したら、チッソは水俣病から解放されることが約束されるのだ。
なので公明党と熊本県はさすがに気が引けたのか、冒頭の発言になったと、こういうことだ。

悪い冗談かと思っていたら、本当に法律に前文を付けて「この法律の精神は被害者の救済です」みたいなことを書くらしい。

ちょっと前、与謝野さんは「日本経済の底が抜けないように頑張る」みたいなことを言っていたけれど、日本の政治の底はとっくに抜けてしまったらしい。


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2008年05月01日

笑う会長

きょうは水俣病が公式確認されて52年目の慰霊式だった。
初めての出席となる鴨下環境相と蒲島熊本県知事は、いずれも式の中で「水俣病救済策」に言及して、強い意欲を見せたが、対照的にチッソの後藤会長は全く触れなかった。
与党がまとめた「救済策」というのは、現行の認定基準の矛盾には一切触れず、150万円程度の一時金を柱にしたもので、チッソはこの救済策の受け入れを拒否し続け、先月も直談判で受け入れを迫った環境相と県知事を袖にしている。
環境相は以前、きょう5月1日の慰霊式までに解決してみせると大見得を切って見せただけに、怒り心頭のご様子だ。
しかし式の後、チッソの後藤会長は「5月1日、慰霊式は毎年あるもので、別に気にしてない。大臣はたまたまこういう行事に引っかけただけだろう」とマスコミの前で言い放ち、大臣を完全にコケにして見せた。
こうしたチッソの態度に、強い批判が出ている。まあ当然だろう。どう見ても開き直りだし、何より被害者や環境相だけでなく、チッソを取り巻くすべてをなめきったように見える態度は確かに不快だ。
しかしこの問題の根本は、「救済策」というシロモノが果たしてまともなものなのか、ということにつきる。
実はこの「救済策」を受け入れないとしているのはチッソだけではない。
被害者団体も半分の団体が受け入れを拒否している。内容があまりにずさんだというわけだ。
被害者も加害者も双方が受け入れられないと言っている程度の内容のものをまとめて、「救済策ができたから受け入れろ、解決しろ」といっているのが今の与党と政府の姿勢だ。
反対している被害者団体は、認定基準の問題に手を付けずにごまかす内容は我慢できないといっているわけだし、チッソはそんなものを加害者側が受け入れても全面解決にならない、つかみ金を出せと言われてもそりゃ無理ですといっている。
要するにチッソに見透かされているわけだ。この「救済策」がいかに低レベルなものでしかないことを。
チッソの後藤会長は、きょうもにやにや笑っていた。それを不謹慎だというのはたやすいが、「俺の笑いの意味が分かる程度に勉強しろよ、君たち」と言っているようで仕方がない。
ラベル:水俣病
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2008年04月12日

縁(えにし)を語る会

先月亡くなった水俣病患者で語り部の杉本栄子さんを偲ぶ会が開かれた。当日参加の人も多く、結局200人くらいが集まったみたいで、会場の水俣市の結婚式場「あらせ」は席が足りなくなってしまった。

「杉本栄子さんとの縁(えにし)を語る会」とい名前の通り、いろんな人が杉本栄子さんを語った。原田正純さんはにこやかに、加藤タケ子さんは泣きながら。みんなその人らしく杉本さんを語っていた。
石牟礼道子さんは、珍しく感情を露わにして、後半は声を詰まらせながらの話だった。
けれども総じてみんな明るく、楽しく、朗らかに杉本栄子さんを語った。晩年の栄子さんは大変朗らかで明るかったからだろう。葬式の時とは違う、伸びやかな雰囲気に包まれていた。最後には、栄子さんが考案した(あまり知られていないけれど杉本栄子さんは日本舞踊の名取でもあった)水俣ハイヤを本願の会を中心にしたメンバーが踊って幕を下ろした。

会では途中、杉本栄子さんが残した詩(文章?)に、フォーク歌手の李陽雨さんという人が曲をつけた唄が披露され、李さん自身が歌った。
せっかくなのでここに残しておくことにする。

中に出てくる「のさり」というのは「贈り物」という意味の水俣弁です。

思えば、真実はひとつだと‥‥父は教えてくれた
この病気もすべてを のさりと思って生きていけ
愚痴を言うよりも のさりと思って生きていけ
人様は変えられないから 自分が変わってと
生きることの大切さを教えてくれた父

やっと自分の言葉で言えるようになった
水俣病の50年
宝子の叫びが聞けるようになった

見かけではなく 働きたい!
父母の懸命に仕事する姿を見ていた幼い頃
それは おそらく 父も母も、輝いてまぶしかった
自分たちもできる力で懸命に仕事をして
輝きたい!
なんて きれいな気持ちだろう

見かけではなく 働きたい!
宝子たちのさけびごえ
大学に行っても
働きたくない若者がいる
働けない若者がいる
でも 働きたい!
父ちゃんも母ちゃんもよく働いた
チッソも働いた
水俣のみんなが働いた

そして生きるとは‥‥
こげんこっつ

今なら まだ 間に合うのではないか
仕事して
みんなで食べて
語って
宝子たちののぞむもの
ほっとする家
子どもを見守る家
困りごとを相談する家
お茶が出て 時々はご飯も食べられる
でも みんなが少しずつ がまんもする家
そんな みんなの家をつくるため
今なら まだ 間に合うのではないか

今なら まだ 間に合うのではないか
間に合うのではないか


杉本栄子さんが心血を注いだ胎児性水俣病患者たちのための支援施設「ほっとはうす」の新しい建物「みんなの家」は、きのう完成祝賀式を迎えることができました。
出席した潮谷知事は、「知事として水俣病と向き合い、何をなすべきか問い続けてきました」として、「みんなの家」について、「私が行政の中でたった一つかかわることができた思いがある」と涙を浮かべて話しました。
潮谷知事は来週、退任を迎えます。
ラベル:水俣病 杉本栄子
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2008年03月18日

意外なメディアにまっとうな記事

水俣病の記事というのは、熊本ではどこかの新聞に載らない日はないんですが、一歩熊本を出ると読む機会がほとんどなくなります。
なので海外のメディアが「いまだに解決されない日本の水俣病」と取り上げたりすると、「え、なにそれ」みたいな反応が返ってくるわけです。ほとんど国辱モノ。

というわけでかどうかは分かりませんが、意外なメディアに水俣病の記事が載りました。
http://www.mil-box.com/
これ、「防衛ホーム」っていう自衛隊の新聞です。
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ラベル:水俣病 自衛隊
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2008年03月02日

母ちゃん見てるか、のさっとるぞ

水俣病患者で語り部の杉本栄子さんが2月29日ご逝去されました。
3年前に胃ガンが見つかり、手術したのですが、その後別のガンも発見。去年からの闘病生活の末、なくなりました。まだ69歳でした。
葬儀が昨日、水俣市で行われ、私も行ってきました。
雲一つなく晴れ渡れ、水俣の海から空に青い色が抜けていくような気持ちのいい日でした。

葬儀には数百人が参列し、会場に入りきれなかったため、急遽扉を開けて外にもいすを並べる状況でした。
式の前の時間を使って弔電が読み上げられたのですが、最初の一通目がずいぶんと長い。続きを読む
ラベル:水俣病
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2008年01月26日

カーボン・コピー裁判官

「水俣病溝口裁判」という訴訟の熊本地裁判決がありました。
原告の全面敗訴だったので全国ニュースではほとんど扱われていないと思います。
そんなに難しい話ではありません。ただちょっと信じがたいくらいにひどい話ではあります。赤ちゃんが生まれて成人式を迎えるまでの間、行政は仕事をさぼっていても許されるのか?という話。

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2008年01月11日

「千万人と雖も吾往かん」

「チッソ」というと「水俣病」。もうほとんど合い言葉です。
ですが「チッソなんてとっくに潰れたんじゃないの?」と思っていた人も少なくなかったみたいです。
潰れるどころか世界でも有数の企業に育っています。液晶原料のシェアトップで、あなたの携帯の液晶原料がチッソ謹製である可能性は7割くらいあります。
昔はプラスティック。今はPCや液晶テレビなど、チッソの製品に全く無関係に暮らしてきた日本人は皆無と言っていいんじゃないでしょうか。

このブログの前身「DAI'S PICKET FENCE」は実は「のび太の敷金返還奮戦記」だけではなくて、水俣病問題についても(たまに)取り上げていました。講義録なんかも載せることが出来て、報道テーマが偏りがちなマスコミにはやれないこともできたかなとそれなりに思っています。
環境問題はいろいろかまびすしいですが、半世紀以上も前に日本の企業が起こした世界最大の公害をいまだに解決できずにいるなんて、この国一体何やってるんだか。今も40代以上の3000人以上の人が認定を待っているんですよ。信じられます?
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ラベル:水俣病
posted by 紅灯 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする