2008年04月12日

縁(えにし)を語る会

先月亡くなった水俣病患者で語り部の杉本栄子さんを偲ぶ会が開かれた。当日参加の人も多く、結局200人くらいが集まったみたいで、会場の水俣市の結婚式場「あらせ」は席が足りなくなってしまった。

「杉本栄子さんとの縁(えにし)を語る会」とい名前の通り、いろんな人が杉本栄子さんを語った。原田正純さんはにこやかに、加藤タケ子さんは泣きながら。みんなその人らしく杉本さんを語っていた。
石牟礼道子さんは、珍しく感情を露わにして、後半は声を詰まらせながらの話だった。
けれども総じてみんな明るく、楽しく、朗らかに杉本栄子さんを語った。晩年の栄子さんは大変朗らかで明るかったからだろう。葬式の時とは違う、伸びやかな雰囲気に包まれていた。最後には、栄子さんが考案した(あまり知られていないけれど杉本栄子さんは日本舞踊の名取でもあった)水俣ハイヤを本願の会を中心にしたメンバーが踊って幕を下ろした。

会では途中、杉本栄子さんが残した詩(文章?)に、フォーク歌手の李陽雨さんという人が曲をつけた唄が披露され、李さん自身が歌った。
せっかくなのでここに残しておくことにする。

中に出てくる「のさり」というのは「贈り物」という意味の水俣弁です。

思えば、真実はひとつだと‥‥父は教えてくれた
この病気もすべてを のさりと思って生きていけ
愚痴を言うよりも のさりと思って生きていけ
人様は変えられないから 自分が変わってと
生きることの大切さを教えてくれた父

やっと自分の言葉で言えるようになった
水俣病の50年
宝子の叫びが聞けるようになった

見かけではなく 働きたい!
父母の懸命に仕事する姿を見ていた幼い頃
それは おそらく 父も母も、輝いてまぶしかった
自分たちもできる力で懸命に仕事をして
輝きたい!
なんて きれいな気持ちだろう

見かけではなく 働きたい!
宝子たちのさけびごえ
大学に行っても
働きたくない若者がいる
働けない若者がいる
でも 働きたい!
父ちゃんも母ちゃんもよく働いた
チッソも働いた
水俣のみんなが働いた

そして生きるとは‥‥
こげんこっつ

今なら まだ 間に合うのではないか
仕事して
みんなで食べて
語って
宝子たちののぞむもの
ほっとする家
子どもを見守る家
困りごとを相談する家
お茶が出て 時々はご飯も食べられる
でも みんなが少しずつ がまんもする家
そんな みんなの家をつくるため
今なら まだ 間に合うのではないか

今なら まだ 間に合うのではないか
間に合うのではないか


杉本栄子さんが心血を注いだ胎児性水俣病患者たちのための支援施設「ほっとはうす」の新しい建物「みんなの家」は、きのう完成祝賀式を迎えることができました。
出席した潮谷知事は、「知事として水俣病と向き合い、何をなすべきか問い続けてきました」として、「みんなの家」について、「私が行政の中でたった一つかかわることができた思いがある」と涙を浮かべて話しました。
潮谷知事は来週、退任を迎えます。


ラベル:杉本栄子 水俣病
posted by 紅灯 at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。