2008年04月03日

江口司さんのこと

訃報というのはいつも思いがけないものだけど、こんなに思いがけなく訪れるとは思わなかった。
江口司さんの本業は看板業だ。
初対面の人には「シンナー中毒の江口です」と言って驚かせるのが昔は好きだったらしい。
二本の足で歩くのが大好きで、九州の山や海を訪ね、土地の人たちから話を聞き、写真に収める。いつしかそれは貴重な貴重な記録になった。
そして文化人類学者たちとの交流の中で、江口さんは自らの仕事は九州の人々の暮らしを記録するフィールドワークだと気づき、民俗学という分野に踏み行っていった。

江口さんは大変人なつこい人だった。人なつこいつもりだけの不作法な人間なら世の中にたくさんいるけれど、江口さんは年上にも年下にも態度の変わらない、本当に人なつこい人だった。
大変気前のいい人でもあった。それはそれは苦労して得た知識や体験でも、少しも惜しまずに人に分け与えた。酒やご飯をおごる人は多いけれど、かけがえのないものを人に与える人は多くない。だから江口さんには人に話すことがたくさんあったし、江口さんのまわりにはいつもたくさんの人が集まった。

江口さんは泳げなかったけれど海を愛した。九州脊梁と同じように海も好きだった。
だからその夜も釣りに出かけた。
それが最期だった。
翌日江口さんは浜に打ち上げられていた。
釣りのポイントに行く途中に、高さ10メートルの岸壁から足を滑らせたらしい。警察はそうみている。
それは今月1日の出来事で、いたずらの好きな江口さんのことだからきっとこれはたぶんエイプリルフールだよ、と誰もが言って小さく笑ったけれど、残念ながらそれはエイプリルフールではなかった。
その証拠に僕らはきょう、江口さんの葬式に行った。
還暦近い、立派なひげを蓄えたオヤジたちが声を上げ肩を震わせて泣いていた。

江口さんは死んでしまったが、江口さんが書いた本は僕の手元にある。
「不知火海と琉球弧」。
江口さんが九州の沿岸を歩き、奄美や沖縄の島々を渡り、たくさんの人々と会い、話をし、笑い、生きた記録だ。
この本が熊日出版文化賞を受賞したとき、江口さんは本当に嬉しそうだった。大学生の娘さんと喧嘩して、仲直りしたときのように無邪気に笑っていた。

「参ったな」
熊日の文化部長が何度もつぶやいていたよ、江口さん。
僕もそう言うしかない。
死んでしまうなんて、参ったよ。
江口さん。
参ったからもう一度、笑って欲しい。


posted by 紅灯 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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