2008年03月12日

明日への遺言(続)

今回は映画の内容・結末に触れています。未見の方はご注意を)。

映画は、空襲の歴史についてドキュメンタリー・フィルムから始まります。
かなり長いうえに、竹野内豊のナレーションがあんまりと言えばあんまりな出来で、よく耳に残らない。あのたどたどしさから実直な雰囲気を生み出したかったんだろうなと思うんですが、それにしてもたどたどしすぎる。ニュースアナウンサーが言うところの「原稿の意味、わかって読んでる?」ってやつです。
ですが、要するに戦略爆撃について問題提起したいんだなということはまあわかります。

そして紹介される「事件」。
東海地方を絨毯爆撃したB29の乗員30人以上を捕虜とした東海軍は、彼らを正式な裁判にかけず、斬首してしまいます(ここのところの竹野内くんのナレーションが、力を入れようとしてなんかヘンになってる)。
で、敗戦後。
この事件について東海軍の司令官だった岡田資中将以下20名がB級戦犯に問われる、その裁判の一部始終が描かれるわけです。

まず感想からいいますと、予想より面白い。意外なことに。
法廷モノですが、岡田中将は処刑されたことは周知の事実(知らなくても予想はつく)なので、どんな判決になるのかという定番の興味はありません。
ですが、弁護側と検察側の丁々発止のやりとりという、これもやはり法廷モノの魅力はちゃんと生きてます。ポリティカルな議論は置いておいても、あくまで戦犯としての事実追求に血道を上げる検察と、そもそもその犯罪事実に至った背景として、無差別爆撃は国際条約に違反している、つまり戦犯だと論拠する弁護側のやりとりは十分に面白く、迫力がありました。
岡田資は、初めて戦略爆撃の違法性を、つまり戦略爆撃としての無差別爆撃を違法であると、しかも当のアメリカに認めさせたことで名を残しているわけで、そこが面白いのは当たり前と言えば当たり前なんですが、ただやはりこうやって法廷を再現してやりとりを聞くと大変興味深い。
イラク戦争なんかでも戦略爆撃の違法性が問われる今日、全く色あせないテーマであります。

ただ、岡田中将自身はいかにも軍人らしく、戦略爆撃自体は効果的な戦法だと認めていたという事実を全く描いていないのはちょっとどうなんでしょう。本人は「もしも自分が米軍の指揮官ならやはり本土爆撃を決行するだろう」と書き残しています。その上で、出来るだけ無差別爆撃を少なくして、軍事目標を効果的に攻撃するのが効率的な作戦だというのが岡田中将の思想です。つまり、「より違法な状態(無差別爆撃)を出来る限り少なくするのが合理的な良い作戦だ」と考えているわけで、決してヒューマニズムあふれる人間ではないはずなのです(そもそもそれが正しい軍人だし)。
ただ、「違法であるかどうか」「仮に違法である場合、任務の完遂にどこまで必要なのか」といったことを、徹底的に合理的に考え抜いた、極めて高い知性を維持しようとしたと言う点が岡田中将のもっとも高く評価される部分ではないのかと思うのですが。

ん?
「そんなことをいうと、せっかくの映画のムードがぶちこわしじゃないか」って?
わかってますよそんなこと。これはあくまで「映画」、それもドキュメント映画じゃなくて娯楽映画なんですから。まずいかにエンターテイメントに徹するか、それが大事ですからね。
「岡田中将は戦略自体は」云々など言い出したら興ざめです。

ですけど。
この映画、映画なんですかね?

「なかなか面白かった」というのが第1の感想なら、第2の感想はこれです。
「面白かったけど、映画とは思えない」。
冒頭のドキュメンタリー・フィルムのあと、映画は法廷シーンと巣鴨プリズンのシーンがほぼすべてです。80パーセント以上は法廷といっていいでしょう。
しかしこれが映像的には何の工夫もない。
普通こういう法廷モノには、再現シーンがつきものですが、ドキュメンタリー映画「東京裁判」を意識したのか、単に予算がなかったのか、一切ありません。
法廷の撮り方そのものも単調きわまりない。
岡田中将役の藤田まことが、入廷して検事と顔を合わせ、「グッドモーニング」と声をかけると、一瞬あっけにとられた検事がすぐに破顔一笑するというなかなかいいシーンがありますが、それくらい。

これで戦略爆撃の正当性や、作戦と報復の違い、果ては戦争と法理論についての議論を2時間近く観ろというのは、ちょっと傲慢じゃないでしょうか。いやしくも劇映画として世に出すのであれば、少しは見せる工夫をしないと。
「『ショアー』みたいに、ナチの残虐映像を一切見せずに7時間以上も証言だけで見せた映画もあったじゃないか」というかもしれませんが、あれはドキュメンタリーです。証言している人たちは「本人」です。
「事実だけを観る側のイマジネーションに訴える」という言い方もできるでしょうけど、それは素人の言い方であって、例えばNHKの裁判ドキュメンタリーでも、さまざまな工夫をしてます。

ましてや劇映画なんですから、いくら藤田まことが抑えた演技で見せようと、それだけに頼るのは無理があります。というか役者が可哀想。監督の仕事を役者に押しつけている。
そもそも冒頭で黒こげ死体が積み重なる無差別爆撃のドキュメンタリー・フィルムをさんざん見せておきながら、本編では、田中好子と蒼井優の語りだけで凄惨な空襲の悲劇を語らせようというのはバランスがとれません。
この映画、藤田まことはもちろん、田中好子も蒼井優もみんな演技は大変良い。でもあまりにドラマ部分がほったらかしなもんだから、田中好子なんて、「黒い雨」と区別が付かなくなっちゃってる。

ただ、結果としてシンプルで、最初に言ったようにこの映画のおかげで「岡田資」という人間がよくわかるようにになっているのも確か。

え、褒めているのかけなしているのか、おまえの言っていることがよくわからない?

では一つの映画を挙げましょう。
天才棋士・呉清源の伝記映画を撮りながら、結果として何が何だかわからなくなってしまった田壮壮「極みの棋譜」という映画が去年公開されました。
この映画、全くストーリーがわからないです。もうめちゃめちゃ。
事前に呉清源の伝記を読んでないと、全く話がつかめません。
でもこの映画が駄作かというと、そんなことはない。
見終えた後、呉清源という棋士の天才ぶりと、そして何より映画の美しさに感心します。

翻って「明日への遺言」はどうか。
ストーリーはよくわかる。岡田資がどんな男だったのかもわかりやすい。全く知らないひとも、この映画を観れば大丈夫。
しかし、それは岡田資の伝記を読むのとかわりません。大岡昇平の原作本を読んでも同じ感銘を受けることが出来るでしょう。

この映画だけの魅力はそこにはない。
一つのイデオロギーを広めるための手段としての映画。
目的としての映画ではなく、手段としての映画。そういうことです。

ちなみに一昨日は東京大空襲忌でした。
この時期にあわせての公開でもあったんでしょう。
それはそれで十分に意義のあることです。


ラベル:明日への遺言
posted by 紅灯 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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