2008年02月17日

「男の自画像」(続)

ロバート・レッドフォード主演の映画に「ナチュラル」という作品があります。
将来を嘱望された天才少年ピッチャー。大リーグの目にとまり、意気揚々と田舎を後にします。落雷を受けた庭の木を削って作った「サンダーボーイ」と刻印を押したバットを持って。
周囲からも天才と騒がれ、高額の契約金をもらい、デビューを待つばかりの中、天狗になった彼は、田舎にいる誠実な彼女を裏切ります。その結果、ある事件に巻き込まれ、選手生命を絶たれるのです。
それから20年。ひとりのおっさんがプロテストに現れます。どこからどうみたって盛りを過ぎた無名のオヤジ。周囲があざ笑う中、打席に立つ男。手に持ったバットには「サンダーボーイ」の焼き印が。その一振りは周囲を沈黙させるに十分でした。
突如現れた強打者オヤジに周囲は驚きます。しかし彼はこれまでどこで何をしていたのか?疑問に思ったひとりのスポーツ紙の記者が周辺を嗅ぎ始めます。実はこの記者、20年前に彼と出会っていたのですが…。

という、男の挫折と復活を野球に託して鮮やかに描いたバリー・レビンソン監督(他に「レインマン」など)の傑作です。
柳沢きみおの「男の自画像」は、この「ナチュラル」に影響されているのではないかと私はにらんでいます。「ナチュラル」の日本公開は1984年、「男の自画像」の第1巻が出たのが1986年ですから、可能性は十分にあります。どちらも野球界への復活に人生をかける30代半ばの男が主人公です。単なる偶然とは思えません。

とはいえ、別に盗作とかまねしたとかそういうことを指摘しようというのではありません。実際ストーリや設定もかなり違いますし。ただ、柳沢の中でもかなり異色の作品となる「男の自画像」の前に「ナチュラル」という映画があったということを考え合わせると理解がしやすい。そういうことです。

「男の自画像」の主役は、元プロ野球セネターズ(ヤクルトスワローズがモデルとみられる)の本格派ピッチャーだった男、並木。決め球だったカミソリシュートの多用で肘を壊し引退。今は国立大卒の学歴と頭脳を生かし、大企業の課長として傍目には順調な生活を送っています。性格は沈着にして冷静、元プロスポーツ選手にしてはナイーブでスタイリッシュな印象です。
しかし、元スチュワーデスで気位の高い妻は、夫が「タダの」サラリーマンになったことが不満でことあるごとにあげつらう。並木は並木で一回りも若いOLの愛人がおり、二人の子供がなんとか結婚生活をつなぎ止めているという実情です。
そうした私生活の心の空白と、40代を目の前にした焦りが次第に並木を追いつめていきます。
やがて、30半ばにして再びプロ野球を目指すという妄想じみた夢に取り付かれた並木は、練習時間を確保するため会社を辞めます。当然激怒した妻は子供を連れて実家へ。
並木は、プロ時代並木の球を受けていたキャッチャーで現在は焼き鳥屋を開いている友人を練習相手、そして相談相手とし、緩んだ体を引き締め、新たな武器、ナックルの習得を目指します。
このあたりは、特にストーリー的には派手なところもなく、普通の長編であれば中だるみしそうなところですが、ストイックに体を作る並木、ルーズだけれども憎めない焼き鳥屋の男との友情に、プロ時代の同僚で今はヤクザの鉄砲玉になっている男を絡めて細かく描かれ飽きさせません。また、この後の展開に重要な役を果たす、才能は超プロ級なのに、なぜか草野球で満足している若者を登場させたり、この時期実際に日本のプロ野球に導入されたストライクゾーンの変更や、ナックルを活用してがんばる大リーグの中年投手のエピソードなどを巧みに取り入れて、普通ならあり得ない、30代半ばでのプロ復帰というストーリーをリアルに見せる工夫を重ねています。

この辺りの柳沢のストーリーテリングの巧みさが最もよく現れているのは、十分にプロに通用すると確信した並木たちが、ついに復帰への第一歩を踏み出すところです。
はじめ並木たちは、古巣のセネターズに接触します。しかし、現在のピッチングコーチは現役当時から並木を嫌っていた男で、復帰の話を球団内にあげることなく握りつぶします。
落胆した並木たちは、ライオンズに目を付けます。中継ぎ/抑えがいない当時のチーム事情に加え、監督がキャッチャー出身の森祇晶で、ナックルの意味を理解してもらえるのではないかと考えたためです。
森監督の散歩ルートを調べ、その途中の公園で偶然を装ってキャッチボールを見てもらい、アピールしようという作戦を立て、「なんだか高校生みたいな作戦だな」と笑いながら興奮を隠せない並木たち。そして計画通り森監督が現れ・・・。
予想通り森は並木を正当に評価し、ライオンズに迎え入れようとするのですが、結局並木はある理由からセネターズに入ります。セネターズでは「テスト生」なのですが。
セネターズにテスト生として入ったと聞いた森は、一瞬耳を疑いますが、「今時のプロ野球、こんな泣ける話があるかね」とつぶやきます。
このエピソードのキーマンに、当時「冷血」「非情」「ケチ」などと嫌われていた森を持ってきたところがまずうまい。しかし「うまい」のは、森を泣かせるという発想だけではありません。
「30半ばのおっさんがプロ復帰なんてありえないだろ」というこのストーリー最大の弱点を、「森が泣く」という、やはりあり得なさそうなエピソードを入れることで、読者の目をそらしているんですな。無理めなストーリーに無理めなエピソードを掛け合わせることで、逆にリアリズムを生み出す。この辺りの物語のさばき方が実に見事。


セネターズ復帰後は、本格的な野球漫画になり、わずか1年、1回のシーズンで再び引退するまでが実に感動的に描かれます。
ですが、全体を通して一貫して描かれているのは、中年にさしかかった男の焦りです。
ストイックな肉体作りとともに、中年ならではのセックスや酒への断ちがたい執着が生々しく描かれます。
この中年男のむなしいまでのセックスへの執着は、最近の柳沢きみおのテーマでもあったのですが、いつの間にか本末転倒して、ただのエロ漫画になってしまっているのは、少々悲しいことです。

そして、主人公の肉体の衰えへのおそれと、若者への、若い体・精神へのあこがれ。
キャンプインのシーンでは、若手ナンバーワンの新人投手と同室にさせることで、この焦燥感とあきらめの混じったむなしさを残酷なまでに描き込みます。
織田裕二主演で映画にもなった真保裕一の「ホワイト・アウト」では、主人公のダムのエンジニアが、初めて持ったマシンガンの重さに疲れ果てて、たった一つの武器なのに、持て余したあげく捨ててしまうというシーンが原作にはあって、読者をリアルに引きずりこむうまい描写だなあと感心した記憶がありますが、この並木の「疲労との戦い」もそれに似た現実感があります。

この「男の自画像」を描いた頃、柳沢自身も30代後半。
当時も漫画家として最前線を走っていたとはいえ、20代の頃に人気のピークを経験した漫画家の焦りはどれほどのものか。ある程度は想像できるような気がします。
漫画家という特殊な職業を生業とする男の焦りを、やはり特殊な職業である野球選手に置き換えて描いた壮烈な自己韜晦の物語。
それだけにストーリーがぶれることも少なく、極めて高い緊張感の中で連載を終えることができたのではないかと思うのです。

漫画は、並木が引退後、コーチとして迎えられ、幸せな道を歩んでいくことを示唆して終わります。
翻って柳沢きみお自身はどうでしょうか。
この後も90年頃にかけて「ディーノ」などヒットを飛ばしますが、本人がかなり力を入れたと見られる「SHOP自分」はたいした評判にもならず終わりました。
その後の「特命係長只野仁」のヒットは記憶に新しいところですが、これは偶然ドラマ化されたことによるもので、ドラマの内容から見ても、本人がどれほど満足しているかは疑問です。
つまるところ、現在連載中の作品としては「大市民シリーズ」くらいのもので、それ以外は特に見るべきものはないのが現状です。
「大市民シリーズ」も以前のような面白みはなくなり、現在はただの初老のオヤジのボヤキといわれても仕方のない程度で、絵も荒んでいます。
「男の自画像」を読んだとき、「ああ、昔はこんな繊細な絵だったんだっけ」と改めて見直したくらいです。

しかし、だからといってこの柳沢きみおという作家を責める気はありません。「もっと努力すべきだ」とも思いません。
もうすぐ60歳。日本のエンターテイメントの歴史に重要な役割を果たした作品をいくつも描いた漫画家が、還暦を目前に今も原稿用紙と格闘しているだけで十分です。
たとえそれが結果につながらなくても、今も若い頃の意欲を少しでも持ち続けているという事実だけで、私には柳沢きみおという漫画家は愛すべき作家だと思えるのです。


posted by 紅灯 at 16:49| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 不図,昔連載で読んだ『男の自画像』を読みたくなり,いろいろと検索していてここに来ました。この記事を書いている貴方のナチュラルとの重ね方が斬新で,引き込まれるように読んでしまいました。
 最後の一年の活躍,そのクライマックスで若手投手の初勝利のために選手生命を捨てる覚悟でシュートを投げるシーンにゾクゾクしました。一年の夢を見た男が最後に穏やかな日常に戻る…ナチュラルも,最後は子供とのキャッチ―ボールのシーンでしたが,同じ感動がありました。夢を見ることのできた男が最後に静かに現実に戻っていくというところに感動を覚えます。
 雑文,ご容赦ください。
Posted by TAK at 2013年05月22日 16:00
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