考えてみると、佐野元春のコンサートには80年代、90年代のそれぞれ後半に行っています。期せずしてどちらも佐野元春の大きな転機の時期でした。
佐野元春の最初の転機は84年にリリースされたアルバム「VISITORS」でした。
この前年からニューヨークに拠点を移して活動していた佐野元春は、当時アメリカでも本格化しようとしていたラップに注目。ほかにもファンクなどを大胆に取り入れ、完璧に日本語に消化した上で「VISITORS」を出しました。「コンプリケーション・シェイクダウン」などの収録曲の数々はいまでも十分に先鋭的だと思います。
ところがこれが受けなかった。
佐野元春ファン以外には高評価を受けたものの、それまでの佐野元春ファンには全く受けなかったのであります。あまりにも「someday」や「アンジェリーナ」とかけ離れた仕上がり故に、「裏切られた」という感情的な反発が一気に広がりました。
私のような「アンジェリーナ」も好きだけど「VISITORS」も好きというファンはかなり少なかったんです。
まあ、ファン心理としてはわからなくもありません。ブルース・スプリングスティーンがいきなりポール・ウェラーに変身しちゃったわけですから。でも私としては「ボス・ロックより、もっとビートを中心に置いた楽曲を作りたいんだろうな」と思っていたので、あまり違和感はありませんでした。
ともあれ、これは大きくファンを減らし(そして新たなファンを獲得した)「VISITORS」事件として、今も語り草になっております。
激しい賛否両論の中、佐野元春はさらにファンを挑発するかのように、これまで無関心だったように見えた政治的発言、行動を繰り返すようになります。
チェルノブイリ事故をきっかけに反原発を鮮明にしたかと思うと、中国民主化運動に連帯を表明。
私が初めてコンサートに行ったときはこの時期です。雷鳴が轟いた後に始まった横浜スタジアムでのライブは、天安門で殺された学生たちに捧げられました。
そして迎えた90年代は、佐野元春には辛い10年となりました。
相次いで両親を亡くし、デビューからずっと活動をともにしてきた自分のバンド、ハートランドを解散。97年には突然の事故で妹を亡くします。
私が行った2度目のライブはこの頃。後に佐野元春が「身内の不幸を感じさせるようなツアーにはしてはいけないと思った」と語ったように、このときのステージは華やかでした。
新たなバンド「HOBO KING BAND」を率い、2部ではステージの後ろの壁を覆う幕が取り払われると、そこに現れたのはスカパラホーンズ。
10分以上にわたる「99ブルース」のホーンセッションは見事だったなあ。
しかしその後佐野元春を直撃したのは「声が出ない」という致命的な事態。
もともと最初から最後までシャウトするというスタイルで喉を痛めやすかったところに、身内の相次ぐ死など心労が重なったのが原因とされています。
音楽活動は続けたものの、オリジナルアルバムは2000年に入ってぱったり途絶えます。ファン離れを心配したのか、それまで嫌っていたTVへの露出を高めます。しかし結果的にファンの反発を呼ぶことに(それにしても拓郎といい小田和正といい、急に露出を増やすとろくなことがない)。
しかし04年、見事なロック・アルバム「THE SUN」を発表、声に不安はあるものの、復活を果たします。
その「THE SUN」は、プライベートレーベルを立ち上げて出されました。CCCD問題によるレコード会社との衝突が原因でした。
CCCD問題というのは、デジタルコピーを出来なくしたCD、いわゆるコピーコントロールCDを各レコード会社が導入した、もしくは導入しようとした問題です。CCCDは明らかに音質が劣化するのに、強引に導入しようとしたレコード会社の姿勢が「利益優先過ぎる」と一部のミュージシャンやファンから反発を買いました。これにもっとも反発した大御所が佐野元春と山下達郎(やっぱり)だったわけです。山下達郎の場合は「拒否」で済みましたが、佐野元春の場合はライブアルバムが強引にCCCDで発売されてしまい、怒った佐野がデビュー以来のEPICを離れるという事態にまで行ってしまったのです。
結果的に現在、CCCDはほぼ姿を消しましたから、どちらが正しかったかは明らかです。
ちょっと振り返るつもりがずいぶん長くなりました。こうやってあらためてみると佐野元春って波瀾万丈な人生だよなあ。いつもノー天気に「ヤア、元気かい?」とか気取ってる気がしてたけど。
そんなこんなで10年ぶりのステージは、意表を突いて静かに始まりました。
ショートムービーの幕が上がると、キーボードの弾き語り。
「グッドタイムス&バッドタイムス」。
なんとデビューアルバムからのピックアップ。
長い間、佐野のコンサートは必ず「Individualists」から華やかに、そしてオールスタンディングで始まっていたから、客席もとまどいます。
歌い終えた佐野元春は、穏やかに笑って一言。
「今日はPARTYだ。僕はたくさん歌うから、座っててもいいよ」。
とはいえ、2曲目から結局オールスタンディングだったんだけどね(いかん、文体まで佐野元春みたいになってきた)。
最初期の曲をアレンジした曲が続くものの、私も含め客は今ひとつ乗り切れない。原因はわかっています。佐野元春の声を考えてアレンジされた曲が、いずれもかつての曲だけに、あの頃のような輝きが褪せたように、まるでセピア色の曲を聴いているかのように感じてしまう。
とはいえ、1部最後の「WILD ON THE STREET」ではアルバム「VISITERS」らしい思い切りファンクなステージングを見せ盛り上げました。
ちょうど1時間で1部が終了。15分の休憩。
2部は最新アルバム「コヨーテ」から始まる。
ベテランミュージシャンの場合、最新アルバムというのは実はファンに一番なじみが薄いということでもあります。
ところがこれが良かった。今の佐野元春の心象をもっとも吐露しているということなのか。
「THE SUN」からも3曲続く頃には、1部でホールを覆っていた妙な緊張感は消え去り、すっかりリラックスした雰囲気に。
「80年代に戻ろう」という一言から、あの黄金の時代が戻ってきました。
佐野元春も、私も、ホールを埋めた客たちも、まだ若く陽気に騒いでいた「パーティ」へ。
「Rock & Roll Night」ではオリジナルアレンジの演奏というだけではなく、ぎりぎりの声でシャウトを続ける。
そして「もう僕だけの歌じゃなくなって、すこしくやしいこの歌を」という紹介にホールはヒートアップ。
そう、「SOMEDAY」。
私自身で言えば、もう何度も聞き飽きて、たいして期待していなかったはずなのに、「ああ、今からサムディやるんだな」と醒めていたはずなのに、あの印象的なドラムのイントロが始まった瞬間、全身の血がかあっと滾った気がしました。
20年前の横浜スタジアム。一緒に行った普段は冷静な友人がこの曲で熱くなり、拳を突き上げて「モトハル!」と叫んでいました。「おまえも熱くなることがあるんだな」。そう声をかけて笑いあったあの日。
あれから私とその友人はそれぞれの道を歩き、互いにいろんなことがあり、絶縁したこともありました。そんな人生の事どもをまだ知らない、幼く無邪気だった私たちの時代。同じ「SOMEDAY」の時間を私や友人や、そしてモトハルはどう生きてきたのだろうか。
そんなことを思っていると飛び込んできたのはデビュー曲「アンジェリーナ」。
まさかこの曲がラストとは。
アンコールも2回3曲を歌いきり、3時間のステージが終わりました。
佐野元春の歌唱は万全とはとてもいえません。曲によって良し悪しがはっきり分かれたり、声が出ないだけではなくて、部分的に音程がとれなかったりという時もあったことから、やはり原因はフィジカル面だけではないようです。
それでも調子は上向いているようですし、何より佐野元春自身が本当に明るく前向きさを感じさせたライブでした。
「手おくれ」と言われても
口笛で答えていた あの頃
誰にも従わず
傷の手当もせず ただ
時の流れに身をゆだねて
佐野元春「SOMEDAY」
<曲リスト>
グッドタイムス&バッドタイムス
I'm in blue
マンハッタンブリッヂにたたずんで
Sugartime
Heart Beat
7日じゃたりない
ドライブ
ヤング・フォーエバー
WILD ON THE STREET
HKBのテーマ
君が気高い孤独なら
荒地の何処かで
黄金色の天使
恋しいわが家
観覧車の夜
君の魂 大事な魂
WILD HEARTS
Rock & Roll Night
約束の橋
SOMEDAY
アンジェリーナ
Happy Man
彼女はデリケート
悲しきRADIO
HKBメドレー
(2008 01 25 熊本県立劇場演劇ホール)
ラベル:佐野元春
つい何ヶ月か前に爆笑問題と一緒にテレビに出てたことがあり、ついついみてしまいました。何はなしてたか忘れましたけど(笑)
俺のパクリなんだぬ!
ぶっ潰してやるんだぬ!
キャワーッ!!
キャワーッ!!