1つはなかなか面白い体験で、もう1つは大失敗。
ツイッターをはじめて3ヶ月。何事もはじめて3ヶ月くらいで油断して失敗すると言いますが、まさにその通り。
ではまず面白かったことから。
商売柄すべての新聞に目を通します。朝一番には政経社面の見出しをざっと見て抜かれていないか確認(本当は抜かれていれば明け方に担当者から電話が架かってくるんだけど、まあ念のため)、じっくり読むのは昼飯の時。昨日も昼を食べながら読売新聞の人生相談を見ていたら目が釘付けになりました。あ、読売の人生相談は面白いですよ。質問がエキセントリックなことが多いのもあるけれど、何より回答が気が利いていて。かなり無理難題な質問に「いったいどう答えるんだろう」と思って読むと「おお、こう来たか」ってな感じで、これぞ文章芸の世界。
そして昨日はこの回答が素晴らしかった。「彼氏が二股かけてる。別れたいけど別れられない」という、まあよくある、けれども回答が難しいこの質問に、作家の高橋秀実さんが回答。これが見事なんだなあ。リンク張っておきますが、新聞記事なのでそのうち消えると思うので、引用しておきます。
まず冒頭、「あなたもお考えになったように、その彼とは即刻別れてください。」とバッサリ。
畳みかけるように続きます。「別れることにためらいがあるなら『捨てる』と思ってください。そう、ゴミのように。ゴミというのは収集日が決まっていますから、例えば今週の木曜日と決めたら、その日に捨てる。リサイクルに回すのではなくきっぱりと捨ててしまうのです。」
そして「もしかするとあなたは彼女がいるから彼のことがあきらめられないのかもしれません。その彼女が彼の魅力を保証しており、それゆえ価値があると思っているのではないでしょうか。家電にたとえるなら、もはや不用なのに保証書だけ有効になっているようなもの。有効期限が切れても、また別の彼女をつくることは間違いないので、この際保証書もろとも処分してください。」と見事な比喩。トドメには「ゴミがなくなってもさびしくなんかありません。部屋も心も空きスペースができれば、新しいモノに目が向くはず。どうか恋心を大切にしてください。」。
どうですか、この潔さ、格好良さ。
「これは誰かに読ませたいなあ」と思い、そう、ツイッターがあるじゃんと記事のアドレスを調べ、ツイート。
で、昼飯の残りを片付けてコーヒーでも飲んで、「どうなったかな、誰か見てくれたかな」と見てみると。
RT、RT、RT。ものすごい数のRTがついてるではないですか。
あ、説明しておきますと、RTというのはツイートの返信方法の一種で、通常の返信は1対1が基本(+両者をフォローしている人も見ることができる)なのに対し、RTを付けると、返信をした人をフォローしている人すべてが見ることができます。つまりこの場合、Aさんが私の最初のツイートをRTすると、私をフォローしていないAさんのフォロワーすべてが私のツイートを見ることができるわけです。
15分くらいの間に何十というRTが返ってきました。「いいですなあ」「実にいい」「見事」などというコメントとともに。
もちろんRTせずに読んでいる人はその何十倍、何百倍いますし、フォロワーによっては何千・何万倍ということにもなるわけです。
こんなにRTを返されたのは初めてで、ビックリするとともにこれはなかなか楽しいなあと思ったわけです。
さて、その夜。
深夜に帰宅してPCに向かい、原稿など書きつつツイッターも起動。この最近の癖で原稿のスピードが著しく落ちている気もするのですが、まあ、そこはそこ。特に深夜帯に入ると、最近は漫画家のいしかわじゅんさんなどのツイートが、まるでショウタイムとでも言うべき活況を呈すので、誘惑に勝てません。昔のオールナイトニッポンの投書を出したり読まれたりというのをリアルタイムでやってるような感覚とでも言えば近いでしょうか。ディスプレイの片隅に次々浮かぶいろんな方のツイートをちらちら眺めつつ、原稿書きつつ、さらにDMで某ライターさんなどとやりとりしておりました(実はさらにワンセグのTVの音声も流れてたりする。もうこれは原稿書いてるとは言えない)。
と、新たなツイートが。「……あ、そうか。まあぐりとぐらも犬だし。」
おお、いしかわさんご本人だ。えっ、ぐりとぐらって犬だったの?。
と反応した私は、そのまま反射的にキーボードを叩いたのです。
「え、ネズミだと思ってました。我が人生に大きな間違いが RT @ishikawajun: あ、そうか。まあぐりとぐらも犬だし。」
これが午前1時3分。
そのまま原稿など書いていると、すぐに反応が。いしかわさんではありません。私のツイートをRTした方です。
「えっ!!ネズミじゃないの? RT @koutouwinter: え、ネズミだと思ってました。我が人生に大きな間違いが RT …」
RTがRTを呼ぶ。
「ネズミじゃないの?!RT @*****: えっ!!ネズミじゃないの? RT @koutouwinter: え、ネズミだと思ってました。」
私と言えば、「あ、反応あるなあ、今日の昼みたい」とまだのんびり。
と、ここで当のいしかわさんご本人が登場。
「そうじゃなくて、ぐりとぐらという名前をつけられた2匹の犬が居るって話。RT …」
そうです。私はいしかわさんの前のツイートをよく読んでおらず、ふっと浮かんだツイートだけ見て勘違いしちゃったわけです。
「やばいっ」。とにかく慌てた私は、可能な限りのスピードでこのいしかわさんのツイートをRT。
「大変失礼しました。そそっかしいRT。石川さんにも、瞬く間に広がったRTの皆様にも…RT@ishikawajun」
この時点で午前1時8分。最初の勘違いツイートから5分しか経ってません。
ところが、遅かった。完全に手遅れ。
私をRTした方が非常に多くのフォロワーを抱える方ということも手伝って、その後いしかわさんのもとには山のような問い合わせRTが届いたのでした。もちろんみんな「ぐりとぐらって犬だったの?」一色。
その度にいしかわさんは「途中から話を聞くな−」「前のTLを読め!」とそれまでのTL(タイムライン)の雰囲気を壊さない(マンガ夜話のあのぶっきら優しい)調子で応対され、お詫びのツイートを入れた私にも「面白かったー」「一瞬だったね。Twitterの新たな一面を見たよ。」と優しく声をかけて頂きました。
ツイッターに慣れてきたところに昼間RTで面白い経験して、調子に乗っていた私の責任が第一なのは言うまでもありません。
が、いしかわさんも書かれたように、「これがツイッターなんだなあ」とつくづく感じました。特に普段他愛のないことつぶやいてたりするとそれに慣れてしまって、ツイッターのタイムラインが「日常」化してしまい、時間差なく伝播するネットの怖さをふと忘れてたりする。
今回はいしかわさんの優しさに助けられましたが、私の場合、仕事関係でもツイッター使っていますので2度3度と繰り返すわけにはいきません。暴発騒ぎはいい教訓でした。
そして何より、本当にいしかわじゅんさんにはご迷惑をおかけしました。
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