2009年11月24日

牡蠣小屋大騒動

牡蠣小屋なるものに行ってみたかった。まず名前がいい。牡蠣で小屋である。やっぱりオイスターでバーより、牡蠣で小屋だ(なんだか意味不明だけど)。
海産物というのは鮮度が重視されるが、中でも牡蠣は別格。そういえば「美味しんぼ」の山岡士郎は暴走族のバイクに二人乗りして牡蠣を運んだんだっけ。
なので牡蠣は海で食べるのがいちばんらしい。だから牡蠣小屋。大変わかりやすい。

というわけで行ってきました。福岡は糸島半島、岐志漁港の牡蠣小屋。糸島半島の牡蠣小屋は岐志漁港以外にもあるのだけれど、ここがいちばん数が多い。10軒近くの「小屋」があるそう。この日は小雨混じりの肌寒い日とはいえ、連休中である。相当の混雑が予想される。となれば数が沢山あるところの方が平均すれば混まないのではないかという判断である。
が、甘かった。
漁港に着くと車、車、車。数え切れないくらいの車が埋め尽くしている。その向こうに立ち並ぶビニールハウスが目指す牡蠣小屋。その後ろは海の筈なのだが見えない。とにかく車の向こうにビニールハウス。そこから延びる人々の列。とてもシュールな光景である。

とりあえず並ぶ。何の予備知識もなく並んだのだが、店によってファンが付いているようで、「あ、ここ」「ここだここだ」などといいながら並ぶ人が多い。見かけは同じビニールハウスなのだが、牡蠣の値段や、炭火かガスかや、サイドメニューなどによってかなり個性があるらしい。
並ぶのは苦手なのだが、なにしろ海である。漁港である。ここまできて並ばなければほかに何にもしようがないのであった。

ちょうど1時間で中に入れた。ハウスの中はもうもうと焼ガキの匂い。ハウスの中央に通路が一本通っていて、両脇にベンチ。炭コンロがずらりと並んでいる。これが焼き肉なら、1時間も待って炭火の前に案内されればもっとギラギラした雰囲気になりそうだけれど、そういう雰囲気ではない。なんとなく落ち着いている。炭火なのにどこか枯れた感じが漂ってる。
新しい炭を運んできた店員さんが「何キロにしますか?」。いきなり「何キロ」という食べ物屋もなかなかない。
時期的なものなのか、やや小ぶりの牡蠣で、1キロ10数個見当。5,6個網の上にのっけて待つ。とりあえず待つ。ビールを飲んで待つしかない。
ヒマである。
ハマグリとかならすぐに口を開けそうな気もするし、なにより愛嬌があるが、なにしろ牡蠣だ。岩を網の上にのっけってるみたいで愛想もこそもない。どうにもヒマなのである。

なので「きょう入荷」の手書きの張り紙に書いてあったワタリガニも頼む。「カニも食うか」程度のほんの気まぐれだったのだ。それがまさか・・・。

運ばれてきたワタリガニは3匹。輪ゴムで手足をぐるぐる巻きにされている。ではさっそくとゴムを外した瞬間だった。
「わああ、生きてる」
いきなり私の指めがけてハサミを振り下ろしてきたのだ。「危ない!」と後ろから店員さんの声。カニを放り出し、慌てて両手に軍手を嵌める私。ものすごい勢いでテーブルから逃げだそうとしているカニをトングでつかみ、裏返して網の上へ。これで大丈夫だろうと思ったのもつかの間、「おおお、ブリッジしやがった」。ワタリガニが手足をいっぱいに広げ、ハサミで網をつかんでこれでもかとばかりにブリッジしているのだ。「こ、こいつめ」おびえながらトングで網に押しつける私。「早く焼けちまえ」。気分は殆ど猟奇殺人者である。

すっかりカニに気をとられている間に牡蠣が焼けている。「お、焼けた焼けた」と軍手を嵌めた手で牡蠣をつかんだ瞬間、「わっちゃっちゃっちゃ!!」牡蠣の口の隙間から猛烈に熱い蒸気が噴出していたのであった。
「わあああ」とわめきながら今度は牡蠣を網の上に放り投げる私。四十男は牡蠣小屋ですっかり落ち着きをなくしたのであった。

肝心の牡蠣の味はというと、これはもう、うまいの一言。あんまり芸が無くてもうしわけないが、とにかくうまい。私実は街で食べるときは牡蠣の好き嫌いが結構あって、信頼のおける店でしか食べない。牡蠣独特の潮臭さが「美味しく」感じられるものと「臭く」感じられるものがあるからだ。前も書いたけれど、家で食べるときは大根おろしで徹底的に洗う。
でも牡蠣小屋の焼ガキはまったく厭な臭いがなかった。「牡蠣独特の」と思っていたあの磯臭さはもともと牡蠣にあるものではないようだ。
「美味しんぼ」じゃないけれど、牡蠣は水揚げしたら一秒でも早く食べるべき、というのは間違いなさそう。
牡蠣を食べるなら牡蠣小屋で。これはやはり正しいみたい。
また行こう。できれば平日に。

posted by 紅灯 at 21:49| 酒・料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする