最初はフォローする相手をどうやって探すんだ?なんて思っていたけれど、関心のある人を見つけてフォローするとフォローをかえされたり、フォローしてくれた人をフォローしている人がフォローしてくれたりと(ややこしい文章だな)、少しずつ増えている状況。
大変におもしろい出会いもありました。
共通のテーマからある方を見つけてフォローしたらすぐにフォローを返され、「なるほど、私の方にも関心があるのかな」などと思っていたら、すぐにダイレクトメッセージ。実はこの方、このブログを前から読んでいらっしゃって、コメントを入れようと思ったこともあったそうなんです。ただこのブログ、途中でコメント欄をやめちゃったので(認可制にしていたんですがそれすら理解できない方もいるようなので)、連絡を取れずにいたところ、突然私からフォローが来たというわけ。ネットの世界も広いようで狭い。
もう一つ、某著名なブロガーの方がいらっしゃって私もずいぶん昔から読んでいまして、twitterもフォローしました。有名人の場合、twitterではフォロワーの方が圧倒的に多いのは当然です。ところがしばらくするとこの方からフォローが。これはなんとなくうれしい。ファンレターを出したら返事が来たような感覚ですね。
こういう経験を通してつくづく思っているのは、このtwitterというのは実は相当に斬新なコミュニケーションの世界を切り開くものなのではないかということ。一般的にtwitterは「何のことはないつぶやきを投稿するゆるいツール」と受け止められていますが(私も半月前までそうだった)、意外とこれまでにない人とのつながり方を生みつつある気がします。
twitterでのつながりは基本的には「他人」です。その気になればtwitter上のすべての人のつぶやきを聞くこともできるわけで(実際にはムリだけどさ)、フォローしているだけでは完璧に他人です。これがフォローしあうようになると少々変わってくる。もちろん「他人」という前提は変わらないんだけど、どこか「知り合い感」「連帯感」のようなものが生まれてくる。RTなどを繰り返していれば、リアルで会っても違和感なく話せるかもしれない。
しかしネットではこの「知り合い感」という距離感がしばしば問題になることがあって、ブログのコメント欄や掲示板とかが荒れたり炎上したりするのも一つにはこの距離感の一方的な思い込みがあるのではないかと思っています。
ところがtwitterの場合、「知らない人たちとなんだかつながってる」という感覚が強い。掲示板などとは違って「あなたにこれを言いたい。私の言いたいことを聞きなさい」という主張が(コミュニケーションの中では)少ない。
さらにtwitterでは、特に私達くらいの年代だと、いろんな人がいろんな日常を送りいろんな活動にエネルギーをそそいでいるんだなあという当たり前のことが非常に新鮮に感じられるんです。普段接点のない人たちの日常と微かに触れあうことで、マスコミなんかが当たり前のように扱っている「大衆の群れ」という均質化されたイメージが、実は幻想に過ぎないことが実感としてわかる気がするんですね。
先日、一念発起してダンスパフォーマンスに挑戦した、普段は堅い仕事をしている40代の方が「個性は自分の中にあると思っていたけれど、人との関わりの中で見えてくるものだと初めて知った」と話していたのが印象に残ったのですが、まさにtwitterも「つぶやきの関係性の中から個性が見えてくる」気がします。