ブラッド・ピットの若返りCGが話題の映画だ。
一応原作はかのフィツジェラルドがクレジットされていて、実際同名の短編小説もあるのだけど、全く別物である。若返る主人公という設定のみを(そしてフィツジェラルドの名前を)頂いただけ。ハリウッドというところはかつて落ちぶれたフィツジェラルドを二流映画の台本書きとしてずいぶん便利に使ったが、「20世紀最高の作家」などと呼ばれるようになったらなったで今もしっかり利用している。さすがにこすっからいところである。
以下、ストーリーや結末の一部に触れていますのでご注意を。
さてその「ベンジャミン・バトン」。
もっとシリアスな映画かと思っていたら直球ど真ん中の恋愛映画だったのは意表を突かれたが、面白い。良くできてる。フィンチャーの映画としては「パニック・ルーム」や「ゾディアック」よりずっといい。
そろそろ大御所の風格も漂わせてきて、映画のテーマがテーマだけに、いつまでも若くはないんだなと思わせたりする。
この映画、要はブラピとケイト・ブランシェットという幼なじみが成長し、結ばれ、別れるまでを実際に起きた現代史のエピソードを散りばめながら描いていく。
そう、「あれ、なんかこれって『フォレスト・ガンプ』みたい」と思ったら脚本は同じエリック・ロスだった。この人って「グッド・シェパード」みたいなぴりぴりしたサスペンス書かせると抜群にうまいんだけど、ラブロマンスは何か妙なことになるので要注意である。「フォレスト・ガンプ」もあの二人の恋愛描写に納得できなかったのは私一人ではあるまい。基本的に「奔放な女と翻弄される男」のパターン。
ところが今回、このパターンに思いがけない男からの反撃が用意されていたのである。
映画の終盤、ブラピとブランシェットが久しぶりにベッドを共にする。二人とも歳は50代の筈なのだが、若返っていくブラピの外見は二十歳前後にしか見えない。
事が終わって、身繕いをするブランシェット。ベッドに横たわるブラピ。
これ以上は映画で見ていただきたいが、大変に意地が悪く痛々しく切ないシーンである。
実はこのシーンの前まで、「話題作りとしてはわからんでもないけど、こんなストレートな恋愛映画なら若返っていくなんて面倒な仕掛けする必要あるのかな」と感じていた。でもこのシーンを見て「なるほど、これがしたかったのね」と感じ入った次第。
映画史に残る残酷シーンである。
それにしても、だ。
女性にとって加齢というのは人生において大変大きなテーマなのだろう。男性だって歳や見た目を気にすることはあるけれど、おそらく女性のそれとは比べものにならないというか、その心情を心底理解するのは難しいだろう。
ただ、日本やアメリカの女性は特にこの加齢に敏感すぎるきらいがあると思う。ヨーロッパだと、大人の女性の美しさは少女のそれとはまた別物という共通認識が社会に存在していて、それが成熟した文化を生み出すバックボーンの一つにもなっている気がする。
この映画でも、ベンジャミン・バトンとの出会いによって再び自信を取り戻していく女性(ティルダ・スウィントン)が登場するのだが、やはりイギリス人という設定である。
そしてこの映画の最大の問題は、ヒロインであるケイト・ブランシェットよりこの女性の方が断然格好いいことにある。確かにブランシェットは美しく描かれているが、どこか弱い女性として描かれている。その弱さの根源は「加齢」という問題に集約されている。
そのことが最終的に映画を悲劇たらしめているわけだ。
正直に言って私には、無垢な少女より、いろんな経験を重ねてきた女性の方が魅力的に映る。その経験こそが美しく輝くための光の根源となるわけだから。そして光があれば当然影もあるわけで、その陰影が人生を豊かにする。
どうやらこの映画の制作者たちも同じ思いを抱いているようだ。
確かに受け止め方はいろいろあるかもしれないけれど、この映画を女性と一緒に観て、「いい歳を重ねていこう」と語り合うのはちょっといいホワイトデーかもしれない。
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