2010年03月06日

ガリ版の日々

NHKの番組で今時のガリ版事情を取り上げていました。
って、ガリ版ご存じでしょうか?
こういうものなんです・・・とネットにすぐ頼る態度はいかがなものかと思いますが、しかし全然知らない人にガリ版を一から説明するのは難しいぞ。やってみよう。
まず、ロウを塗ったごく薄い油紙に字を書く。この場合「書く」というのは「鉄筆」という先が針金状になった器具で字を彫り込んでいく。原稿が完成したらこれを木製のフレームにセットして、下に紙を置く。そこへインクを流し込みローラーでごろごろやるとロウを削った部分だけインクが転写され、刷り上がるというわけ。

小学生でもその仕組みがよく理解できるというまさにアナログ印刷の極北でありまして、実際私達が小中学校の頃には学校で配られるプリント・テストというのはほぼすべてこれでありました(そういえば小学校の低学年の頃には青写真というのもあったぞ)。先生の字の癖がそのまま出てしまうので、○○先生のプリントは読みにくい!などと言われ、今なら「ウチのクラスは先生の悪筆のおかげで勉強が遅れる!」などと親が学校に怒鳴り込んでくるのではないかというような実に昭和らしいのんびりした印刷装置でもありました。
何しろパソコンのプリンターどころか、コピー機だってまったく普及していない時代ですからね。

このガリ版が欲しかったんです。
中学生の頃、私は友人と2人で新聞を作っていました。新聞といっても新聞部ではなく、2人でルーズリーフに書いた回覧新聞。同じ電車で遠距離通学していた2人が暇つぶしに学校でのことなどをおもしろおかしく書いた新聞です。主に僕が原稿を、彼はデザインや絵やマンガを担当していました。最初はその電車を利用する同級生の間だけでまわし読みされていたのですが、そのうち文字通り口コミで広がり、ついには学校中で回覧され、一週間後に戻ってくる頃にはぼろぼろになっているという状況でありました。

人気が出てくると作り手も張り切るのはいつの世も同じ。
高校受験を控えた中学3年の冬休み、私達は相談しました。中学生活もあと数ヶ月。ここでひとつ「正月特別版」を出そうじゃないか。記念になるようにいつもの回覧じゃなく、ガリ版刷りにしないか?
しかし部活でもなくアングラでやってる新聞に学校のガリ版を貸してくれなんて言えません。だいたい受験直前の12月にそんなことやってるってばれたら怒られる。
文房具屋をのぞいて見ましたが、高い。とても中学生の小遣いで買えるものじゃありません。諦めかけたその時、ガリ版に使うロウ紙が目に入りました。1枚数円。安いじゃないか。鉄筆も数百円。高いのはガリ版本体だけ。
そこでひらめきました。なんと言っても小学生でも理解できるガリ版の仕組みですからね。
ガリ版を作ればいいんだと。

とはいえ、一応は受験生の身。材木買ってきてノコギリで…なんて派手なことはさすがにできません。ただでも受験前にこの子たちはなにやってるのと親から朝に晩に説教くらってるのに、いきなり大工の真似事など始めたら進路を考え直したのかと思われかねません。
原理だけでいえばロウ紙とインク、それに紙さえあればいいわけです。ロウ紙を張るフレームはなんでもいいんじゃないか。
というわけでタンスの上で眠っているもらい物のお菓子の箱を引っ張り出し、フタをくりぬきました。これにロウ紙をセロテープで張る。残った箱をひっくり返し紙を載せる台にします。おお、簡単に(そしてタダで)ガリ版の完成です。
早速試し刷り。
インクを載せてローラーをかけると、ちゃんと印刷できるじゃないですか。
おお、やった!と早速2枚目。その途端、ぐちゃぐちゃとイヤな音が。見るとロウ紙がローラーに巻き付いて惨憺たる有様。
インクは油性なのでセロテープと相性が悪く、すぐに剥がれてしまったわけです。
一枚印刷するのにロウ紙1枚彫っていたのでは何の意味もないことはさすがに頭の悪い中学生でもわかります。試行錯誤の末ビニールテープで固定した後厚紙を置いてホチキスで留めるということでクリア。
ところが今度は紙のフレームでは耐久性がなく、5,6回も刷ると歪んでインクが隙間から入り込み、紙が真っ黒になってしまいます。なんとか補強を終える頃には手も顔もそこいらもインクでべとべと。
ようやく6頁ほどの新聞100部が完成した頃には年が明けていたという次第。

受験の方はどうなったかというと、めでたく2人とも第一志望の私立は落ち、揃って同じ公立高校に進学しました。受験日の前夜も2人で新聞作ってましたから当然と言えば当然の結果です。それから数十年が経ち、私は文章を書くことが生業に、手先が器用だった彼は医者になりましたから、時というのは流れるように流れるものです。

そして情報を発信するという手段は、今や飛躍的な発展を遂げました。
ただ、ホームページやブログやツイッターが出る度にその仕組みや使い方に熱中する自分に気づくと、ガリ版を何とか手作りできないか夢中になっていたあの頃から少しも成長していないのではないかと思うのです。


ラベル:ガリ版 謄写版
posted by 紅灯 at 17:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする