2010年01月22日

あれから10年

徳島県の吉野川第十堰をめぐる住民投票から、明日で十年になるのだそうだ。
もうそんなに経つのか、早いなあというのが実感だ。
月並みな言い方だけど、あの日のことはつい昨日みたいに思い出せる。

吉野川の第十堰というのは、江戸時代に作られた石積みの堰だ。流れを完全に止めず、大雨の時には自然に流量が調節されて洪水を防ぎ、普段は多くの生き物が生息するという、先人の知恵が生かされた堰だ(ちなみに「第十」というのは地名です。十番目の堰という意味ではありませんよ)。
二百年以上経っても生き続けているこの堰を、国が老朽化と洪水対策を理由に取り壊し、下流に1000億円をかけて(出た)巨大な可動式の堰の建設するという計画を発表。
推進する自民党と建設・土木業者、これに反発する市民グループというわかりやすい構図を経て、1998年、市民グループは住民投票の実施を求め署名を呼びかける。その結果、徳島市の有権者の半数近いの署名が集まり、市議会に住民投票条例の制定を求めた。
ところが建設推進派が多数を占める市議会は条例案を否決。
このため市民グループは市議会議員選挙に独自候補を擁立し3人が当選、その結果、定員40人の市議会のうち住民投票賛成派が22人を占め勢力が逆転したのだ。
そして6月、日本で初めて国の河川事業を問う住民投票条例が成立した。

ところが敵もさるもの。この条例案には仕掛けがしてあったんですな。
なんと、「投票率が50パーセントに達しなければ無効とする」という条項があったのであります。投票率が50パーセントに満たなければ開票すらされないという異常な条件に対抗するため、市民グループはボランティアの応援を頼み、有権者のおよそ半数の家にチラシを配ったり、辻立ちを繰り返した。なんと言っても、直前の市長選挙の投票率は30パーセント台だったのだ。

一方可動堰推進派は、組織力を生かして建設を求める署名を全県下で集め(吉野川と関係ないところも含め)建設大臣に提出する一方、「住民投票に行かないよう」呼びかける。この動きを市の選挙管理委員会はたしなめるどころか「投票を強制するようなものでもないので、有権者の判断に任せたい」と耳を疑うような談話を発表した。

そして迎えた1月23日の投票日(そういえば『1,2,3で投票に行こう!』って呼びかけてたなあ)。
よく晴れて寒い日曜の朝、街は静かだった。
静かだったけど、街中が言いしれぬ高揚感、連帯感に包まれていたのをよく憶えている。
一人また一人と投票所へ足を運ぶ人たち。
「自分達の一票が確実にこの街の未来を決めるんだ」という責任感と誇りでつながっていた。
「50パーセントを超えなければ開票さえしない」という縛りが、かえって徳島の人々の誇りを目覚めさせたのではないか、そう思いましたね。
そうして住民投票の結果よりまず、投票率は50パーセントを超えるのか、投票は成立するのか、徳島市民は固唾を呑んで見守った。
午後7時すぎ、選管は投票率が50パーセントを超えたことを発表、投票が成立した。
そして開票。
その結果──
可動堰建設に反対が10万2700票。賛成は9300票。
圧倒的な結果が示され、国の河川行政にNOが突きつけられた。

この徳島のケースが、住民投票で行政を監視するというシステムの先鞭を付けたとされている。
やはりそれは、この徳島のケースが、政党やイデオロギー色がほとんど無い純粋な市民運動から出発し、最後までそれを貫いたという点が大きい。姫野雅義さんという沈着冷静で無色、そして全くぶれない強いリーダーシップを持った方がいたということもある。
もちろん批判もあった。「なんでもかんでも住民投票というのは間接民主主義を否定するものだ」という批判は十分に理解できる。
当時の建設相は「民主主義の誤作動だ」と発言した(このとき「誤作動しているのは建設相だ」とやり返したのは菅直人氏である)。

しかし、投票箱を開封すらせず圧殺しようとした現実を前にして、民主主義を語る資格はいったい誰にあるだろう。
自分の一票で何かを変えられる。
現在に通じる小さな芽が、この時徳島で生まれていたのかもしれない。

私が最後に第十堰を見てから7年くらい経つ。
堰をなめらかに越えてゆく川の流れにたゆたう陽光。耳に心地よいせせらぎの音と波に遊ぶ小鳥の群れ。
あの素晴らしい景色は今も健在なのだと思うと自然に笑みが浮かぶ。
徳島の人々に感謝。



ラベル:第十堰
posted by 紅灯 at 18:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

こいつは便利!Dropbox

久々にPC関係の話。
mac環境に移行してそれまで馴染んだ一太郎を捨てざるを得なくなり、エルゴのegwordに感動したもののすぐに店じまいされてしまい、macの日本語ワープロ環境に嘆いたのもつかの間、macjournalが大変に使いやすいとわかり激賞したものの、マックのクラウド「Mobileme」の同期に非常に問題があって頭を抱えている、というのがこれまでの私の原稿執筆環境の変遷というか歴史であります。
こうやって書いてみると、3年も経たない間にこれだけのああだこうだが繰り返されているわけで、ホントにPCなるものは僕らの生活を便利にしてくれているのだろうかといういつもの思いがチラチラしてしまう。ま、便利になってる面が沢山あるのは間違いないんだけどね。

で、macjournal。
これはジャンルで分けるとテキストエディタになるのかな。本当によくできていて、テキストベタうちはもちろん、どんなファイルでも取りあえずぶち込んでおけるし、アウトラインプロセッサとしても便利。この文もmacjournalで書いているのだけれど、とにかく使いやすい。全画面での入力は大変気持ちいいし、この全画面機能、実は私達の業界では簡易プロンプターとしても使える。ファイルの管理も楽だし細かいところも行き届いているしと、もう手放せないぞと思ってたら重大な問題が。

上にも書いたように、「mobileme」との同期が非常に不安定なのだ。
mobilemeというのはmacのサービスのひとつで、アドレス帳やスケジュールなどをすべてのコンピューター間で自動同期してくれるというもの。実はmacjournalはこのmobilemeに同期している。つまり仕事場で原稿を途中まで書いて、続きをスタバでmacbookで書いて、あとは自宅のmacで書くということがカンタン!というはずなのだが、この同期が非常に不安定。文書ファイルが同期されたり同期されなかったりくらいならまだしも、最悪なのは逆に上書きされてしまう。
つまり、一生懸命書いた原稿が古いデータに上書きされ、完全に消去されてしまうというこれ以上はないくらいの悲劇が起きてしまうのだ。
私これ、かなり頻繁に経験していて、一番ひどいのは500枚くらいの原稿が全部消えたことがあった。この時はさすがにバックアップをとっていたけれど、いくつも章に分けたりしていたので、バックアップから復旧させるのも一苦労だった。このほか、書き上げた一章分が数時間後に消えていたなんてことは数え切れない。

どういう訳かこれは人によるみたいで、私と同じように四苦八苦している人もいれば、まったく問題なしという人もいる。
度々酷い目にあっても、それでもmacjournalを使い続けているのは、ひとえにそれ以外の機能が素晴らしいからだけど、ここへきてファイルの読み込み自体がおかしくなるなどの不具合が目立ってきた(なんなんだろうなあ、原因不明)。
さすがにこのまま使ってるのはまずいと思い始めた頃、教えてもらったんです、「Dropbox」の存在を。

これは便利ですよお。何で今まで知らなかったんだと激しく後悔しました。
ツールをダウンロードするとネット上に2Gのストレージが確保されます。同時に自分のPCに「My Dropbox」というフォルダができて、ここにデータを置いておくと自動的にネット上のストレージに同期されます。macでもwinでも使用可ですから、自分のあらゆるPCに導入しておけば、常に最新のファイルで作業できるというわけ。
ファイルの更新は差分なので、更新に要する時間は非常に早い。モバイルで接続していてもほとんどストレスはありません。通常はdropboxの存在すら忘れている状態。
macbookで外で作業しているような場合には、ネットに接続した時点で自動的に更新されます。
で、これだけ便利なのに2Gまではフリー。素晴らしい。

早速macjournalのファイルをDropboxへ。以上、問題解決。
このDropboxによってmacjournalの同期の呪いから解き放たれた私は、ついに、いつでもどこでも最新の状態のmacjournalで原稿を書くという夢を実現したのでありました。



posted by 紅灯 at 00:44| win→mac | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

発売開始!

ついにというか、やっとというか、とにもかくにも出ました。
拙著「なぜ水俣病は解決できないのか」(弦書房刊)発売です。

あー長かった。
本一冊出すのって大変なんだなあ、と十分に思わせてくれるこの2年間でした。
やっぱり一人でも多くの人に手にとって貰えればうれしい、なんて思ってしまいますが、実はそれどころじゃない。
一定の割合売れないと、出版社が赤字になってしまうのです。
水俣病なんて売れそうにもない本を引き受けて頂いた以上、さらなる迷惑はかけられません。
ほっとしたのもつかの間、次は営業だっ!

といっても私ができることといえば限られているのですが。
とりあえず左のサイドバー、リンクをamazonに張りました。
書名をポチッとクリックすれば、ポーッンと売り場へ行けます。

あ、amazonの表示が「在庫切れ」となっていますが、ちゃんとありますからね。
amazonの和書のコーナーではこういうことが多いらしくて、出版社の方も誤表示にならないようにと手続きして頂いたのですが、まだ改善されてないようです。
在庫はちゃんとありますのでご安心下さい(在庫喜んでどうする)。
何はともあれ何卒よろしくお願いします。

ラベル:水俣病
posted by 紅灯 at 21:15| 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月11日

怒濤の年末年始と水俣病研究集会

新年のご挨拶もしないうちにもう中旬、大変不義理をしてしまいましたが、当ブログ、今年もよろしくお願いします。

それにしても年末からきのうまで怒濤というか津波のような騒ぎでした。
本の校正がようやく終わり、装丁含めて私の手を離れたと思ったら特番のオンエア、そのまま大晦日まで仕事場に缶詰。大晦日の晩には抜け出して帰省してきた友人と飲んだりしちゃったんですが。
正月2日3日4日と気が抜けたようにぼんやりしていたものの(ようやく「新参者」読みました。面白かった)、気がつくと水俣病事件研究発表集会がもう目前。特措法について発表しなきゃいけないのに何もやってないとバタバタ。パワーポイントの使い方から始めたりして(だっていつも「プレゼン」はTVなので)。

8日の深夜、本業の終了後夜行に乗って熊本へ。で翌日水俣。
迎えた水俣病事件研究発表集会。用意した席が足りなくなったくらいだから、この手の学会みたいなものとしてはなかなかの盛況ぶり。時期が時期なので、マスコミも各社取材に来てる。発表によっては立命館の木野茂先生らの厳しい突っ込みもあったりしまして、報告者の私としては結構緊張しましたが、無事終了。持ち時間の20分をフルに使い切りました。

で、もう一つの目的であるところの私の本の宣伝、これが嬉しい誤算となったのであります。
印刷があがるのがぎりぎり前日になった事情で、当日印刷所から会場へ直接本が運び込まれ、私にとっても自著との初対面ははこの日です。
本を手に取り、紙の感触を味わって「やっと本になった」と思ったのもつかの間、本は私の手を離れ、会場の書籍販売コーナーへ。
段取りでは私の発表の時に宣伝する予定だったですが、ところが20冊ほどの本は発表前の休憩時間にすべて完売してしまいました。書店の方からは「もうないの?」と聞かれるし、コーディネートの先生が私の紹介の時に「本を会場で売ってます」とおっしゃって頂いたもののその時すでに売る本はなくあわてて壇上から「すみません、もうないです」と頭を下げて……という次第。
私自身も著者分が頂けるのは今週13日になっていますので、余れば会場で一冊買おうかと思ったのですが、足りない状態ですから当然お客様優先。
結局、会場には私の本を持っている人が何人もいるのに、著者自身は持ってない、見たけりゃ買って頂いた方に貸してもらわなくちゃいけないという妙な事態になってしまいました。
なので、本が完成した!という意識がいまだに希薄です。

おそらく一人でこそっと乾杯して肩の荷を下ろすのは、著者分が貰えてからということになるんでしょうね。
書店に出回るのは今週末から18日頃になるとのことでした。

それからもう一つ。
本を買って頂けるのはもう本当に嬉しいのでありまして、もう肩でも足でも揉んで差し上げたいところなのですが、「本にサインしろ」というのはどうかやめて下さいませ。恥ずかしくて恥ずかしくて汗びっしょり。本番の発表より緊張したくらいです。どうしてもということであれば、本を落とした時に備えて、後ろにご自身の名前と連絡先を私が書いてあげる、ということでどうでしょうか。



ラベル:水俣病
posted by 紅灯 at 16:21| 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする