2009年03月31日

追悼・モーリス・ジャール

映画音楽の作曲家というのはなかなか報われない商売である。
映画を左右しかねない重要な要素であるのに、映画評論において主役になることは──ミュージカルなどを除いて──まずない。サントラファンと映画ファンは意外と重ならないことも多いし。
ただこれは理由のないこともなくて、映画音楽の過程では監督が作曲家にイメージを伝える時、既成の曲などを付けて「こんなイメージで」とオーダーすることが多く(テンプトラックという。「添付」トラックではなくテンポラリー・トラックなんだけど、添付トラックでも意味があってるのが笑える)、そのイメージに引きずられて「どっかで聞いたなあ」みたいな曲になってしまってオリジナリティが低くなっちゃって、余り評価されない。

なので結局一握りの有名作曲家に依頼が集中してしまう。
その代表格がエンニオ・モリコーネで、一体何曲書いてるのやら。400とも500ともいわれるけど、きっと本人もわからないだろうな。
モリコーネほどではないにしろ、やはり職人的作曲家だったのがモーリス・ジャールだ。
余り指摘されないけど、個人的にはこの2人、共通しているところが多いように思う。
まず、1人の監督との出会いが大きく運命を変えた点。
モリコーネといえばセルジオ・レオーネ、ジャールといえばデビッド・リーンを抜きには語れない。
大作曲家の地位を築き上げた後も、大作映画・芸術映画だけではなく、どちらも様々なジャンルや低予算映画にも曲を提供している。ジャールでいえば「マッドマックス・サンダードーム」(ティナ・ターナーのやつね)、「ジェイコブズ・ラダー」、「ゴースト」なんかも手を抜かずきっちり仕上げてる。
そういえば、どちらも唐突に日本関係の仕事もしてる。ジャールは「首都消失」、モリコーネはNHK大河ドラマ「武蔵」。どっちも作品自体はアレだったけど。
そして、曲作りの姿勢。
映画音楽は割と昔から分業が進んでいたけれど、この二人はどちらもオーケストレーションまで自分でやってしまう。曲のアレンジなんてほとんど収入に影響しないから、大御所なんてまず自分で面倒なオーケストレーションなんてしない。きっとこの二人、作曲が楽しくてたまんないんだろうな。

もちろん、モリコーネが異端児と呼ばれ続けたのに対して、ジャールは比較的王道を進んだようにその作風は全然違うし、ジャールが3回もアカデミー賞に輝いたのに対しモリコーネはいまだゼロだったりするけれど、映画音楽というジャンルにかける姿勢はよく似ていると思う。

ジャールの代表作を上げろといわれるとなかなか難しい。
アカデミー賞の「アラビアのロレンス」と「ドクトル・ジバゴ」は掛け値なしに素晴らしい。特に「ジバゴ」はフランス人作曲家がロシアのバラライカを自在に操るという楽しさも魅力。未見の方は是非どうぞ。

ただ、追悼コラムには余り光の当たらないものを取り上げるという当ブログ的には、ここは「危険な情事」を勧めたい。
マイケル・ダグラス主演、エイドリアン・ライン監督のあのサイコサスペンス不倫映画(何なんだそれは)もジャールなのである。すでに3度もオスカーを貰って大大大御所にもかかわらず、サスペンス映画の基本をきっちり押さえて気配り一杯の丁寧な仕事ぶり。
あの「ウサギ鍋」のシーンは、確かにラインの演出は見事だけどサントラ抜きには語れないでしょう。平凡と言えば平凡。でもこれがサントラというお手本。大御所になっての一切手抜きナシのこの仕事は素晴らしい。
今度見る機会があれば、是非音楽も意識してみて下さい。



posted by 紅灯 at 18:26| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月26日

新入社員のみなさんへ

新入社員が町にあふれる季節である。
きょう、ニュースでは「社会人のマナー教室」というのをやっていた。
中小企業が合同で、新入社員のマナー教室を開催しているらしい。
それはそれでいいのだが、ちょっと引っかかったことがあった。
講師(人材コンサルタント)が「給料はお客様に払ってもらっていることを自覚して、プロ意識を高めなさい」と話していたのである。
これっておかしくないか?

「プロ意識を高める」ことは大いに結構。
しかし給料は「客に払ってもらっている」のか?
答はノーだ。
もちろん「経営者に払ってもらっている」のでもありません。
「給料とは何か」。これを教えるのが社会人のイロハではないだろうか。

以前、青色発光ダイオードの実用化に成功した中村修二さんを数年間にわたって取材した。テーマは「仕事の対価」である。
「仕事の対価」とは、サラリーマンの場合それは「給料」である。
顧客に対して製品なりサービスなりを提供し、その対価を受け取るのである。そこにあるのは1対1の関係であり、決して「払ってもらっている」ものではない。
当然それは経営者と労働者の関係も同じだ。労働を提供する代わりに対価を受け取るだけのことだ。そこに上も下もない。
ところがこの国ではそれが当たり前に出来ていないフシがある。中村修二さんのケースにそれが端的に表れた。
「給料を払ってやってるんだからありがたく働け」というおかしな考え方に中村さんは異を唱え、貫き通した結果、一審の判決で、600億円を受け取ることが出来ると認定されたのである。

これは日本社会にようやく意識改革をもたらすことになった。
「仕事の対価」を制度として整えるところも増えてきた。
しかしそれでもいまだに「給料を払ってもらってる」なんてことを新入社員に教える「人材のプロ」とやらがいると思うと暗澹たる気分になる。サクラも咲いていい気分なのにね。

いい仕事をして、その対価に見合った報酬を受け取る。それが「プロ意識を高める」というものだろう。
一方で会社のカネと自分のカネの区別もつかない中小企業のオヤジがまだこの国にはウジャウジャいる。
「金は客に払ってもらっているんだ」と教える相手は、新入社員ではなく、経営者の方だろう。

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2009年03月20日

僕は闘う

以前のブログにも書いたけれども、与党が水俣病特別措置法なるものを国会に提出している。
水俣病被害者の救済を名目に、国・熊本県・チッソの免罪を目指したどうにも姑息きわまる法案だ。
「被害者の救済を名目に」って書いたけど、それすら怪しくなっていることは以前のブログに書いた。わざわざ「前文」をつけて「これは被害者のための法律だ」って言わないと訳がわからなくなってる。

何よりこの法案、被害者側には何の相談もしていないのだ。法案を提出するまでに2年くらいかかっているが、その間、被害者側とはまったく協議をしていない。ひたすらチッソの会長と水面下で話を続けただけ。
「被害者救済」と銘打った和解案をまとめるのに、被害者側の意見を全く聞かないなんて信じられるだろうか?
信じられないことだけど、その信じられないことが堂々とまかり通っているのだ。
水俣病のことは全然わからない人だって、この経過を見れば、こんなもの「救済」でもなんでもないことはわかるだろう。

ところが「救済」という名前を最大限利用しようとばかりに、熊本県などは「早くこの案で患者を救って欲しい」などとしらじらしいことを言って国会に知事が陳情したりしている。
マスコミだってそうだ。地元メディアはともかく、東京のメディアなどはこうした経緯を全く取材せずに、ただ「救済」を鵜呑みにして「被害者救済法案、国会提出。民主党反対で難航か」などと平気で書いている。

もう無茶苦茶である。
あんまりひどい状況に沢山の人が怒っている。
複数の患者団体が立場を超えて法案の撤回を求める共同声明を出した。
その賛同人になってほしいという呼びかけが私の所にもきた。
普段はこうした依頼は丁重にお断りしているのだけれど、今回ばかりはそんなことは言っていられない。
しっかりと名前を出すことになった。
これでどういう影響があるかどうかわからない。
でもたとえどんなに叩かれることになろうと身を引いてはいけない時がある。
それはきっと今だ。



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2009年03月18日

阿木燿子さんのこと

仕事で阿木燿子さんにお会いした。
フラメンコと文楽を融合させた「FLAMENCO曽根崎心中」のプロデュースを手がけている関係のプロモーションである。
フラメンコで曽根崎心中でいうと色物と思う方もいるかもしれないけれど、文化庁芸術祭優秀賞を受賞する一方、スペインでのフェスティバルでも評価され、もう8年も上演を重ねているのだ。

お仕事とはいえ、阿木さんのような素敵な方とご一緒するのはやはり楽しい。何者にも動じなさそうなおっとりとしたスローな話し方もご健在。私自身はフラメンコの知識はほとんど無いが、阿木さんとフラメンコの組み合わせと聞けば、これほどマッチするものもない気がする。
阿木さんの詞といえば「港のヨーコ…」や山口百恵の一連の作品がすぐ浮かぶ。最近リバイバルヒットの水谷豊「カリフォルニア・コレクション」も阿木さんの作品だ。
いつの間にか褒章までもらっちゃったけれど、相変わらず偉ぶらず人なつっこく、よく笑って座を和ませてくれる。

その阿木さんがふと、「持続し続けること、それが大切ですよね」と言った。
作詞に女優にエッセイに舞台のプロデュースにと、常に活動の幅を広げる阿木さんの信念が「持続」というのは、これはやはりすごい。
いろんなものに手を出しまくるのは簡単なんだけど、それを持続し続けるというのは、これはどうにも大変だから。
とにかく時間が無くなってきて、そのうち飽きも手伝って以前の活動に興味が薄くなってしまう。
そうなると中途半端になるのはもちろん、せっかく応援してくれたり協力してくれた人たちも裏切ることになってしまう。

レンジを広げながら、持続していく。
わかっているけどいちばん難しいんだよなあ。
ゼロからモノを作り続けている人の凄さ。刺激になりました。


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2009年03月14日

ホワイトデーの贈り物

少し前だが、「ベンジャミン・バトン」を見た。
ブラッド・ピットの若返りCGが話題の映画だ。
一応原作はかのフィツジェラルドがクレジットされていて、実際同名の短編小説もあるのだけど、全く別物である。若返る主人公という設定のみを(そしてフィツジェラルドの名前を)頂いただけ。ハリウッドというところはかつて落ちぶれたフィツジェラルドを二流映画の台本書きとしてずいぶん便利に使ったが、「20世紀最高の作家」などと呼ばれるようになったらなったで今もしっかり利用している。さすがにこすっからいところである。

以下、ストーリーや結末の一部に触れていますのでご注意を。

さてその「ベンジャミン・バトン」。
もっとシリアスな映画かと思っていたら直球ど真ん中の恋愛映画だったのは意表を突かれたが、面白い。良くできてる。フィンチャーの映画としては「パニック・ルーム」や「ゾディアック」よりずっといい。
そろそろ大御所の風格も漂わせてきて、映画のテーマがテーマだけに、いつまでも若くはないんだなと思わせたりする。

この映画、要はブラピとケイト・ブランシェットという幼なじみが成長し、結ばれ、別れるまでを実際に起きた現代史のエピソードを散りばめながら描いていく。
そう、「あれ、なんかこれって『フォレスト・ガンプ』みたい」と思ったら脚本は同じエリック・ロスだった。この人って「グッド・シェパード」みたいなぴりぴりしたサスペンス書かせると抜群にうまいんだけど、ラブロマンスは何か妙なことになるので要注意である。「フォレスト・ガンプ」もあの二人の恋愛描写に納得できなかったのは私一人ではあるまい。基本的に「奔放な女と翻弄される男」のパターン。
ところが今回、このパターンに思いがけない男からの反撃が用意されていたのである。

映画の終盤、ブラピとブランシェットが久しぶりにベッドを共にする。二人とも歳は50代の筈なのだが、若返っていくブラピの外見は二十歳前後にしか見えない。
事が終わって、身繕いをするブランシェット。ベッドに横たわるブラピ。
これ以上は映画で見ていただきたいが、大変に意地が悪く痛々しく切ないシーンである。
実はこのシーンの前まで、「話題作りとしてはわからんでもないけど、こんなストレートな恋愛映画なら若返っていくなんて面倒な仕掛けする必要あるのかな」と感じていた。でもこのシーンを見て「なるほど、これがしたかったのね」と感じ入った次第。
映画史に残る残酷シーンである。

それにしても、だ。
女性にとって加齢というのは人生において大変大きなテーマなのだろう。男性だって歳や見た目を気にすることはあるけれど、おそらく女性のそれとは比べものにならないというか、その心情を心底理解するのは難しいだろう。
ただ、日本やアメリカの女性は特にこの加齢に敏感すぎるきらいがあると思う。ヨーロッパだと、大人の女性の美しさは少女のそれとはまた別物という共通認識が社会に存在していて、それが成熟した文化を生み出すバックボーンの一つにもなっている気がする。

この映画でも、ベンジャミン・バトンとの出会いによって再び自信を取り戻していく女性(ティルダ・スウィントン)が登場するのだが、やはりイギリス人という設定である。
そしてこの映画の最大の問題は、ヒロインであるケイト・ブランシェットよりこの女性の方が断然格好いいことにある。確かにブランシェットは美しく描かれているが、どこか弱い女性として描かれている。その弱さの根源は「加齢」という問題に集約されている。
そのことが最終的に映画を悲劇たらしめているわけだ。

正直に言って私には、無垢な少女より、いろんな経験を重ねてきた女性の方が魅力的に映る。その経験こそが美しく輝くための光の根源となるわけだから。そして光があれば当然影もあるわけで、その陰影が人生を豊かにする。
どうやらこの映画の制作者たちも同じ思いを抱いているようだ。
確かに受け止め方はいろいろあるかもしれないけれど、この映画を女性と一緒に観て、「いい歳を重ねていこう」と語り合うのはちょっといいホワイトデーかもしれない。




posted by 紅灯 at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月12日

一人で生きられるなら

昨夜、料理人の友人Mさんと酒を飲んだ。
夕方珍しくMさんから誘いの電話があったのだ。
仕事が押して11時過ぎになったのだけれど、指定された店でジャンパーをはおったMさんがビールジョッキを傾けて待っていてくれた。
Mさんは一人で小料理屋を切り盛りしている。昨日は一日、店を休んで仕込みに充てていたのだという。
実はMさん、きょうからお品書きを一新するのだ。
料理店がメニューを全面的に変えるのは、店のリニューアルより大変だろうなあとは素人の私でも想像が付く。
Mさんは最近思い悩むことが多かったそうだ。店を開いて5年くらい経つのだけれど、それくらいの時間は「慣れ」を生む。
細やかで丁寧な調理でも、続けていれば「手を抜いているのでは?」という疑念が自らわいてくる(手を抜いてないのは私が証明するのだが)。メニューも定番化して作り手に刺激がなくなってくる。
──これでいいのだろうか。
そう思ったらしい。
Mさんの店ではきょうからコースを取り入れる。量は少しずつ品数は多く、スイーツまで作る。もちろんすべて一人で手作りだ。一品料理もちゃんとある。お店のキャパシティを考えれば「大丈夫?」と声をかけたくなるような手間の嵐である。
でも、そうやって自分に挑戦することが今、Mさんがたどり着いた答のようだ。
「これから春にかけて食材が増えるんです」
焼酎のお湯割りを舐めながらMさんが言った。
「その季節、食べ物屋は楽なんです。だから今年は夏に勝負したいんですよ。夏は食材がなくなって、肉か何かでごまかしたくなる。その時にちゃんとしたものを出したい」
そう言った表情はとても穏やかで、いい顔だった。

この話を、やはり一人でワインバーを切り盛りしているSさんに話した。するとさっそく今日行ってみると言う。Sさんが新しいお品書きの一番乗りの客になる。きっとMさんを意気に感じるところがあるのだと思う。
一人で何かを続けている人たちの強さは、組織のそれとは比較にならない。
たまたまMさんと呑んでいた別のテーブルで組織人たちがはしゃいでいた。中には個人営業の人もいたのだが、商業ベース作家という点では同じである。
この人たちの会話がもう何とも情けない。手垢の付いた組織論を声高に振り回すだけで、組織と個人の区別も付いていない。でもご一行は至極ご満悦のご様子。別にこういうグループは珍しくもないんだけれど、その時はMさんの話に感じ入っていた後だったから、余計に悲しく思えた。
こういう人たちは、「人に頼らない」「一人で生きていく」と言う発言に敏感に反応する。その言葉を聞いた途端に渋面を作って説教を始める(なぜか組織人は説教とか教訓とかが好き)。
社員は経営者に、経営者は社員に依存する仕組みを作り上げているから、一人で生きていく強さを認めるわけにはいかないんだろうな。

私の好きな詩人に、もう亡くなってしまったけれど茨木のり子さんという人がいて、このブログでも一度紹介した
その茨木さんの代表作が「倚(よ)りかからず」だ。
これはもうとても有名になってしまったのでわざわざとも思うのだけれど、どうしてもここで改めて紹介したい。
というのは、以前この詩を「読むに耐えない」と否定した財界人がいたことを、昨日思い出したからだ。

倚りかからず

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない 
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

MさんもSさんも、それにTさんやFさんやIさん……。沢山の人たちが目に浮かぶ。
私が敬愛する多くの人たちは、この詩に描かれている誇りを心の内に持っている。
「人間は一人で生きられない」というのは、それは真実だろう。
しかし、「一人で生きられるのなら…」という思いを捨て去った人間は、システムの奴隷になり下がる。
引き替えになにがしかの安楽は得られるだろうけれど。

そして私は。

一人なのだろうか?

posted by 紅灯 at 18:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

正直、うれしい

走ってきました。
「天草パールラインマラソン」です。
たった10キロですが、生まれて初めてのマラソン大会。大嫌いだったはずのマラソン大会。まさか自分が出るとは。

3月8日。6時半起床。受付時間が9時半までなので、7時半に出れば何とかなるかなという計算。ところが出たあと、走ったあとのお疲れ会に出す予定のシャンパンを忘れたことに気づき、取りに戻る。
これから初レースという奴が酒取りに帰ってどうすると、ちょっと反省。
結局天草の会場着は9時半ぎりぎり。みんながウオームアップなどしている横をあわてて受付場所まで走ったりして、「いやあ疲れた、もう走れない」などと思ったりする。ダメダメである。

そしてついにスタート。号砲一発。わらわらとみんながスタートする最後方からなんとなくついて行く。
照れくさいのである。スタート地点のまわりでは地元の人たちが一杯いて拍手してくれたりしている。もうなんだかすごく恥ずかしい。回れ右して返りたくなるのを必死でこらえて何となく走る。
100メートルほど歩くように走って、ふと気づく。そう、ちゃんと走らないととダメじゃん。慌ててペースを取り戻す。

実を言うと何やかやと忙しくて、この2週間で2回しか走れなかった。おまけにどちらもジムのランニングマシンである。結局外で走ったのは以前このブログでも書いた一ヶ月ほど前の一度切り。
11月から初めて走り始めて、そのうち外で走ったのはただの一度きりで初レースである。
案の定、走り始めて割とすぐ、右膝に軽い違和感が起きた。
(やばいなあ、ひどくならなきゃいいけど)と思いつつもペースを落とさず走る。すると幸いなことにそれ以上右膝の違和感は進まなかった。
そしてジムと違って顔をなでる冷たい風が心地いい。沿道では沢山の人が手を振ってくれる。葬儀場の前では、葬儀に参列している人たちがみんな手を振ってくれる。喪服で。
海を見ると漁船が大漁旗を掲げて応援してくれる。
最初は照れくさかったけれど、だんだん嬉しく気持ちよくなってくる。
初めて体験する登りのコースはきついけど応援で何とかなる気もする。
30分ほどで折り返し点。
「これが折り返し点かあ」というそれだけで感動してたりする。

折り返すとあとはなんだかとても早く感じる。
気がつくと「あと3キロ」のポスト。
「えっ、もう」などと思いながら時計を見る。
「これは…ひょっとしたら…」
いきなりペースを上げる。
グン、と上げる。
ちょっと疲れるたびに、金哲彦メソッドの「肩胛骨を引いて骨盤を意識、重心を低く」という基本を思い出す。すると不思議にその度に軽くなる。

そして見えてきたゴール。
飛び込んだあとも不思議と息が切れていなかった。
タイムは59分。
最初は目標だった、そして途中であきらめた10キロ1時間を思いがけず達成できたのだ。
10キロという距離を走ったのも初めてだし、平均10キロというスピードも初めて。
たった10キロの初レースだけど、結果はできすぎ。正直とても嬉しかったし、何よりゴールしたあとの爽快感といったらもう表現のしようがない。
あー、走って良かった。
そういうしかない爽やかさが脳を襲う。

次のレースを探したりして、すっかり人格が変わった気がする昨日今日。


posted by 紅灯 at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | ジョギング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

無責任男の底抜け大作戦

文章を書いたり、映像を編集したり、いろんなモノを作る作業で欠かせないのがタイトルだ。
気の利いたタイトルを付けるのはもちろんだけど、単刀直入の味気ないタイトルだろうがなんだろうが、それがないと中身がわからない。要するに識別できない。必須である。

何を当たり前のことをいってるのかと言われそうだけど、そこで水俣病なのである。
自民党が水俣病特別措置法というのをまとめて来週国会に提出することをきょう決めた。
決めたのだけれど、きょうの段階になって公明党と熊本県が言い出したのだ。
「これ、水俣病の被害者を救済する法律だってどっかに書いておいたほうがいいんじゃない?」と。
そうなのだ。この法律が成立しても被害者たちは沢山切り捨てられそうな気配である。実際きょう、被害者の人たちは会見を開いて烈火の如く怒っていた。
それならこの法律なんなのかというと、これが成立するとチッソが分社化するのである。
分社化とは何かというと、水俣病を引き起こした黒チッソと、今液晶原料とかで大もうけしている白チッソに分けて、黒チッソが白チッソの株を持つ。黒チッソは白の株を売って売却益を補償に当て、消滅する。
残った白チッソは水俣病と何の関係もございませんということになって、どっかに買収されて優良企業となり、大手を振って歩けるわけである。
チッソ100年の悲願である。
この法律が成立したら、チッソは水俣病から解放されることが約束されるのだ。
なので公明党と熊本県はさすがに気が引けたのか、冒頭の発言になったと、こういうことだ。

悪い冗談かと思っていたら、本当に法律に前文を付けて「この法律の精神は被害者の救済です」みたいなことを書くらしい。

ちょっと前、与謝野さんは「日本経済の底が抜けないように頑張る」みたいなことを言っていたけれど、日本の政治の底はとっくに抜けてしまったらしい。


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2009年03月03日

初めての打ち合わせ

懸案の出版へ向けて、初めての打ち合わせがあった。
担当してくれる編集者Oさんは、毎日出版文化賞の受賞歴もある凄腕編集者なのである。
ただ、読者にとって凄腕ということは大変いいことなのであるけれど、著者にとって凄腕編集者というのはかなり辛い事態が待っているということを予想させることでもあるわけなのである。
普段のOさんはとても温厚な方である(多分)。でも打ち合わせでホテルのカフェの前に座っているOさんは眼光鋭いのである。
「お互い忙しいので30分くらいで済ませましょう」とOさんが言った初回の打ち合わせは、結局1時間半かかったのであった。初回なので、全体のおおざっぱなイメージとか、章立てとか、目次とか、索引を付けるかどうかといったことなのだけれども、なかなか時間がかかるのである。
傍らには私がメールで送っておいた初稿をプリントアウトした束がどかっと置いてある。見ると付箋がびっしりついて、一杯書き込みがしてあるのである。
とても緊張するわけなのであった。

出版関係に足を踏み込むのは今回が初めてで、いろいろ興味深いことがすでにある。
映像の編集作業というのは、1編試写、2編試写、3編試写……などと編集と試写の繰り返して、ものすごく面倒くさいのであるけれども、作り直せば作り直すだけ、これはもう確実に良くなっていくモノなのである。
なのでOさんに「かなり書き直して、いいものにしていきましょう」と話すと、返ってきたのが意外な言葉。
「うーん、ファーストインプレッションが重要なこともかなりありますからね、余り描き直しにこだわる必要はないと思いますよ」
出版文化の違いにとまどいつつも、それほど書き直さなくて済むというお言葉に胸をなで下ろしたのでありました。

posted by 紅灯 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

サブプライムとヤクザの論理

世界的大不況で日本でもいろいろととんでもないことになっているけれど、東南アジアの凄まじさを知って愕然とした。
金融優等生だったシンガポールでは政府が外国人労働者を切るように企業に指導しているし、タイではミャンマーから逃れてきた少数民族への虐待が深刻化している。沿岸にボートで流れ着いた人たちをタイ海軍が船で沖に連れ戻したりしている。この少数民族はミャンマーでも軍隊から暴行を受けたりして逃れてきた難民なのだが、タイ政府は「タイ国民の仕事を奪われるわけにいかない」という理由で追い返しているのだ。
タイは比較的外国人に寛容な国だし、私もタイは何度か行って好きな国のひとつだけにショックだった。

こうした大不況の原因は金融不安であって、その元凶はサブプライム問題だってことはもう誰でも知ってる。
「サブプライム問題はややこしい」なんて言われているけれど、それは細かい部分だけがややこしいのであって、基本的には架空取引と架空転売に限りなく近い行為を繰り返すだけの詐欺まがいの構図だったことは経済関係者なら当時から誰でも知っていたはずだ。少なくとも私はそう思っていたし、警鐘を鳴らす学者も沢山いた。いずれ必ず誰かがババを引く。ひょっとしたら参加者全員がババを引くのかもしれない。でもそのスパイラルが上を向いている限り、そこに手を突っ込めばいくらでもカネがつかめるのだ。だから自称カリスマ経営者たちが殺到した。今になって「この問題は複雑だ」なんて言い逃れている奴を信用してはいけない。
まったく、人間というのはどうしようもなく馬鹿で強欲だとため息をつくのは簡単だけど、問題はそこじゃない。

暴力団抗争事件の裁判の判決文には独特の表現が出てくる。
「暴力団特有の論理をもって犯行を行い……」というヤツで、要するに暴力団の内輪モメでカタギに迷惑かけるなということを裁判所が上品に言っているわけである。抗争の流れ弾に当たって死んじゃったなんて迷惑どころじゃない。
サブプライムに端を発した大不況は、実はこれである。
欲に目がくらみ金の貸し借りで大はしゃぎしていた連中の会社が潰れたり自殺したりするのはどうでもいい。それは『暴力団特有の論理』と何ら変わるところがないからだ。ヤクザどうしがいくら殺し合っても誰も同情はしない。

問題は、そうした論理と全く関わりのなかった人たち、「暴力団ではない人たち」が巻き添えにされていることである。
地道に働いていた派遣社員が契約を打ち切られ、あげく街角で人々を襲う。
内定を取り消され、「頼るのはカネだ」と振り込め詐欺の片棒を担ぐ大学生。
そしてアジアの片隅では難民として遇されるべき少数民族が不況の名の下に虐待を受け続けている。
大不況は確実に人々の倫理観をむしばみ始めている。
それはまるで、倫理観を失った経営者たちの腐臭が伝染し始めているみたいだ。

大不況対策を声高に叫ぶ経営者たちは、保身に走る前に、いったい自分がどれだけの世界中の人々を殺めてしまったのか、その汚れた手を見つめるべきだ。

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2009年03月01日

京都シリーズ 「C,A,D」

人のつながりとは面白いもので、京都のFさんご夫婦とは私の寄港地、コロンで偶然知り合いました。
奥さんが九州の方で、帰省をかねての旅行という感じだったのでしょうか。
爽やかで落ち着いた人柄にすっかり意気投合、「京都でまた会いましょう」という話になりました。

ご主人は会社員をやめて5年前からジーンズリペアの店を開いています。
錦市場のすぐそばにあるその店は、ミシンや糸、そしてたくさんのジーンズが整然と片付けられて、Fさんの人となりがよくわかります。
仕事の手を止めて歓待してくれたFさんが勧めてくれたのが、この「C,A,D」というBarです。

場所は祇園。あの「一力」のすぐ近くというまさに祇園ど真ん中。
当然町屋です。木の格子の向こうにグラスが並んでる。
ところが店内はオーセンティックな雰囲気ではなく、コンクリ打ちっ放しの床に、鉄のストール、カウンターはメタルを埋め込んだ無骨なものが2列に並んでいるという、ロックバーといっても不思議ではない感じ。
バーテンダーのMさんは30代半ばくらいの温厚そうだけど意志の強そうなしっかりとした顔立ち。
グラスを重ねるうちにすっかり打ち解け、携帯番号を交換する頃にはすっかりいつもの酔っぱらいに。
と、「こんばんはー」と入ってきた客をみると、舞妓さんが二人。
振り袖に白塗りのそのままの舞妓さんがカウンターに腰を下ろしてます。
やはり仕事のあとそのまま寄る舞妓さんや芸妓さんが多いそうですが、「素」の(すっぴんのではない)舞妓さんたちに会える珍しい機会となりました。
舞妓さんと言えばそりゃもう日本酒でお猪口でしょ、というイメージですが、ここはバー。オールドファッションドグラスを片手にウォッカなんぞをくいっとあおり、「ねえ、今ね、インドに行ってみたいの」などと普通にはしゃいでいる姿は、やっぱり普通の女の子。

ディープな京都、知れば知るほど面白い。




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