映画を左右しかねない重要な要素であるのに、映画評論において主役になることは──ミュージカルなどを除いて──まずない。サントラファンと映画ファンは意外と重ならないことも多いし。
ただこれは理由のないこともなくて、映画音楽の過程では監督が作曲家にイメージを伝える時、既成の曲などを付けて「こんなイメージで」とオーダーすることが多く(テンプトラックという。「添付」トラックではなくテンポラリー・トラックなんだけど、添付トラックでも意味があってるのが笑える)、そのイメージに引きずられて「どっかで聞いたなあ」みたいな曲になってしまってオリジナリティが低くなっちゃって、余り評価されない。
なので結局一握りの有名作曲家に依頼が集中してしまう。
その代表格がエンニオ・モリコーネで、一体何曲書いてるのやら。400とも500ともいわれるけど、きっと本人もわからないだろうな。
モリコーネほどではないにしろ、やはり職人的作曲家だったのがモーリス・ジャールだ。
余り指摘されないけど、個人的にはこの2人、共通しているところが多いように思う。
まず、1人の監督との出会いが大きく運命を変えた点。
モリコーネといえばセルジオ・レオーネ、ジャールといえばデビッド・リーンを抜きには語れない。
大作曲家の地位を築き上げた後も、大作映画・芸術映画だけではなく、どちらも様々なジャンルや低予算映画にも曲を提供している。ジャールでいえば「マッドマックス・サンダードーム」(ティナ・ターナーのやつね)、「ジェイコブズ・ラダー」、「ゴースト」なんかも手を抜かずきっちり仕上げてる。
そういえば、どちらも唐突に日本関係の仕事もしてる。ジャールは「首都消失」、モリコーネはNHK大河ドラマ「武蔵」。どっちも作品自体はアレだったけど。
そして、曲作りの姿勢。
映画音楽は割と昔から分業が進んでいたけれど、この二人はどちらもオーケストレーションまで自分でやってしまう。曲のアレンジなんてほとんど収入に影響しないから、大御所なんてまず自分で面倒なオーケストレーションなんてしない。きっとこの二人、作曲が楽しくてたまんないんだろうな。
もちろん、モリコーネが異端児と呼ばれ続けたのに対して、ジャールは比較的王道を進んだようにその作風は全然違うし、ジャールが3回もアカデミー賞に輝いたのに対しモリコーネはいまだゼロだったりするけれど、映画音楽というジャンルにかける姿勢はよく似ていると思う。
ジャールの代表作を上げろといわれるとなかなか難しい。
アカデミー賞の「アラビアのロレンス」と「ドクトル・ジバゴ」は掛け値なしに素晴らしい。特に「ジバゴ」はフランス人作曲家がロシアのバラライカを自在に操るという楽しさも魅力。未見の方は是非どうぞ。
ただ、追悼コラムには余り光の当たらないものを取り上げるという当ブログ的には、ここは「危険な情事」を勧めたい。
マイケル・ダグラス主演、エイドリアン・ライン監督のあのサイコサスペンス不倫映画(何なんだそれは)もジャールなのである。すでに3度もオスカーを貰って大大大御所にもかかわらず、サスペンス映画の基本をきっちり押さえて気配り一杯の丁寧な仕事ぶり。
あの「ウサギ鍋」のシーンは、確かにラインの演出は見事だけどサントラ抜きには語れないでしょう。平凡と言えば平凡。でもこれがサントラというお手本。大御所になっての一切手抜きナシのこの仕事は素晴らしい。
今度見る機会があれば、是非音楽も意識してみて下さい。
ラベル:モーリス・ジャール