2008年09月29日

追悼 ポール・ニューマン

亡くなってしまいました。
俳優を引退し、ガンと戦っているというニュースは入っていましたので覚悟はしていましたが、やはり寂しい。以前書いたシドニー・ポラックやロバート・レッドフォード(こちらは存命ですが)らとともに、良きハリウッドを作り上げたビッグネームでした。
若い頃はギラギラとした男臭いイメージだったようですが、うまく歳を重ねてキャリアを積み上げました。
「熱いトタン屋根の猫」→「ハスラー」→「明日に向かって撃て!」→「ロイ・ビーン」→「スティング」→「スクープ・悪意の不在」→「評決」→「ハスラー2」→「ノーバディーズ・フール」と見ていくと、「おお、いい感じで歳をとってるじゃないか」と思いませんか。

作品に恵まれないという言い方もしばしばされる人でしたが、こうやって書き出してみると決してそんなことはない。おそらく、「ニューマンにはもっと代表作があるはずだ」と思わせる何かがこの人にはあるんでしょうね。
アカデミー賞をずっと獲れなかったのも、「うーん、もっといいのが観たい」とアカデミー会員に思わせたのかもしれません。
確かに、男臭い役で人気になったのに、「明日に向かって撃て!」はそれをレッドフォードに譲って、自分はひょうひょうとした食えない男を(でもキャサリン・ロスといちゃつくレッドフォードを陰から見つめる切ない男を)楽しそうに演じていました。
かと思うと「ロイ・ビーン」では豪放磊落な男の中の男、「スクープ」はシニカルなブルーカラー、「評決」は落ちぶれた弁護士が立ち直るまでをしみじみと演じ、でもどれをとっても「ポール・ニューマンである」という印象を残します。といってデニーロのようなすべての役を引き寄せるタイプでもマルコビッチのような憑依型でもないという珍しいタイプの役者でした。
よく言えば底が見えない、悪く言えば手を抜いているように見える、自然体の俳優とでもいうんでしょうか。

私が最も評価しているのは「評決」で、念願のオスカーはこれであげて欲しかったと思いますね、今でも。
ちなみにこの年のアカデミー賞は「ガンジー」「ET」「ミッシング」「トッツィー」そして「評決」が争うという、アカデミー史上特筆すべき激戦の年でした。俳優として「ラッキー」な人生を送ったニューマンは、でもこういう運には恵まれなかった人でした。
でも多くの人がこの映画をニューマンのベストに挙げると思うので、ここは当ブログの追悼記事の慣例として、目立たないけどお勧めの一本を。

それは「スラップ・ショット」(1977)。
連戦連敗のアイスホッケーチームの奮闘ぶりを涙あり笑いありで見せるジョージ・ロイ・ヒルのドタバタ人情ドラマ。ジョージ・ロイ・ヒルはもちろん「明日に向かって撃て!」「スティング」の監督です。しかしこの2作に比べて肩の力が抜けて(抜けきって)、もう本当にリラックスして楽しめる快作に仕上がっています。
チームの監督のニューマンがいいんだなあ。男臭くてバカで、でもナイーブで。
そう言えばポール・ニューマンって、時々見せるバカっぽい表情が本当にバカっぽくていいんです。レッドフォードみたいに「バカやって見せてます」みたいじゃなくて、本当にバカ?と思わせるところが、人なつっこい魅力なんでしょうな。
そういう魅力全開の一作、是非ご覧下さい。


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2008年09月22日

巨匠の夢

他人の夢の話を聞かされることほどつまんないことはないといいますな。
夢と言っても、将来の夢とか15年後の僕への手紙とかじゃなくて、よだれ垂らしながら見る夢の方。
「きのうさ、すっごいヘンな夢見ちゃってさ、全然知らない場所に立ってるんだけどそれが知ってる様な気がして・・・」なんて本人は一生懸命話してるんだけど相手には全然伝わりません。シュールな話を他人に話すのは怪談話より芸が要る。聞いてる方は何が何だかさっぱり分からないというのがせいぜいですな。

夢というのも人それぞれのようで、モノクロの夢を見る人もいるそうですが、私の場合、総天然色はもちろん、匂いも味も普通にあります。それどころか知覚痛覚の類も変わらずあるので、「これって夢かな、キュー」ってほっぺをつねるというのは通用しません。夢の中でしっかり痛いので。
だから、目が覚めた直後は「あ、夢だったのか」で済むのですが、数日経つと、「あれって夢だっけ、現実だっけ」と記憶が混乱することもたまにあります。
なので自分が殺される夢を見たときは、目が覚めた後も1時間くらい立ち直れません。肉体的にも痛みが残ってたりして(まあ、死ぬほどの痛みじゃないんだけど)。

もう一つの私の夢の特徴は、割とストーリーが充実していて、ハリウッド映画のアクションものみたいな展開が少なくありません。ふとしたことから国際謀略に巻き込まれて七転八倒、絶体絶命に追い詰められるも、知人友人の助けを得て反転攻勢、怒濤のクライマックスへ、てな上映時間2時間10分総制作費50億円みたいなの。
こういう夢だと途中で目が覚めても、(あ、続きが観たい)とか思ってもう一度寝ると、大抵はすんなり続きの世界に入っていけます。レンタルビデオを観てて、途中一時停止してビール取りに行ったりするような感覚ね。

とまあ、こういう夢を見ているうちふと思いました。
「一流の映画監督が見る夢って、やっぱり凄いのだろうか?」

だって自分の夢ですからね。構成もセットも思うまま、予算使い放題。現実には無理なカメラワークやCGに頼らなければ不可能な視覚効果でも、夢の中ならいくらでもできます。問題は、その構図や視覚効果、カメラワーク、ストーリーの発想ができるかどうかだけなんですから。一流の映画監督というのはその発想がオリジナルで無尽蔵な訳ですから、すべての現実的な条件が取り払われた夢の世界では、もうものすごい映画が毎晩映画監督の頭の中では上映されているのではなかろうかと思うわけです。でも人の夢は覗けない。でもみたい、スピルバーグの夢を覗いてみたいよお。

とまあ、そういうことは皆さん考えるようで、黒澤明が見た夢を映画化したというふれこみの「夢」なんかがすぐに思い出されますが、どうなんでしょうね。確かにストーリーからは解き放たれていますが、どこかで現実とのバランスを取ろうとして、その結果中途半端になった印象は否めません。むしろ「無駄に金遣ってる」と非難を浴びまくった「乱」の方が黒澤が自分の夢を忠実に映画化したんじゃないかという気もします。

さてさていつものように前置きが長くなりましたが、何の話かというと「ポニョ」を観てきたんです。「崖の谷のポニョ」じゃなくて「崖っぷちのポニョ」でもなくて「崖の上のポニョ」ね。
で、見終えた最初の感想が「これって宮崎駿の夢なんだろうなあ」と。

初期の頃の宮崎作品に比べて遥かにいい加減で緩くてご都合主義な世界観。
妙に歪んだ印象を与える手書きの絵。
全く無意味だけど、ひたすら次のカット次のシーンへ盛り上げていく効果はすばらしい、目先だけを追っているストーリー。
幸せな気分というか、発狂寸前というか、とどのつまり理解不能な色彩設定。

世界観を説明しようとか、ストーリーを破綻なく組み立てようとか、そういう普通の映画作りの努力はハナから放棄されています。これが「子ども向き映画」に設定されたのは、そうした説明努力を放棄しても許されるジャンルだからではないでしょうか。だから同じ作家による「子ども向け映画」といっても「トトロ」とは全く違うジャンルの映画になっている。
宮崎駿の映画作りは、描きたいシーン、描きたい絵を最初に描いて、そこからストーリーを服得たイメージふくらませていくという作法であることはよく知られていますし、そうした創作手法はそれほど珍しくもないですが、今回はもう、ひたすら描きたいモノだけを描き散らしたという印象です。

今回初めて宮崎駿が絵コンテに色を塗って指示をしたといいますが、当然です。あの映画の制作をアニメーションという集団作業の極地でやり通したのは奇跡じゃないかと思いますね。まさに独裁者宮崎駿の面目躍如。基本的に「崖の上のポニョ」というアニメーションは、一人ですべて描く芸術家肌のアニメーション作家が100年くらいかけて作るタイプの作品です。一体どんな映画になるのか、宮崎以外のスタッフは皆目見当が付かなかったのではないかと想像します。
今回鈴木プロデューサーは直前までCMを放送しない、CMを流しても内容には触れないという手法を取って話題を呼びましたが、あれはそうする以外に仕方がなかったのではないでしょうか。

「かわいい」とか「心が温まる」とかこの映画を観て本気でそう思うのか、わたしは不思議でたまりません。
子ども特有の強烈な生のエゴイズムが大量殺戮を引き起こす世界。そこでストーリーと関係なく巻き起こる近親相姦、といって悪ければ近親相克の隠喩暗喩の数々。愛情と憎悪が直截にロコツにぶつかり合う感情過多のエピソードが渦巻く混乱。次々に挿入される過剰なイメージの連続。まさに船酔いする映画。
「ポニョ、ポニョ♪」というあのえげつないほどにかわいらしさを強調したテーマ曲は、「これはヤバイ」と危惧した宮崎アニメの守護霊二人(鈴木・久石)が強引に「ほらこんなにかわいいんだよ、純粋無垢な映画なんだよ」という皮を被せて、世間をだまくらかそうとした策略ではないかと睨んでいます。

夢というのは、わかりやすい悪夢というのは、実は少ないものです。
目が覚めて何となく呆然となりながら、「あれは何だったんだろう」と釈然としないまま忘れていく。楽しかったのか、恐ろしかったのか。その境界が曖昧な世界。

こんな夢を毎晩見て、こんなイメージを体からあふれさせて生き続け、正気を保ち続けている宮崎駿というのは、やはり只者ではありません。
天才宮崎駿を改めて実感させる映画であることは間違いがありません。
前作「ハウル」で予兆はありましたが、ついに暴走を始めた宮崎駿、これからどこへ行くのか気になるところではあります。

教訓
「凡人の夢はつまらないが、巨匠の夢は恐ろしい」


posted by 紅灯 at 22:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

飲んで学んで驚いた休日

若手バーテンダーが腕を競うカクテル・コンテストに行ってきました。って、もちろん見学というか応援。バーテンダーじゃないし、だいたい若くないし。
なんですが、出場する選手に知り合いが複数いるので、一人だけ応援できないというのも辛い、というか八方美人ですな。

今回はスポンサーがアサヒなので、アブソリュートのフレーバーシリーズなどなどアサヒのイチオシのスピリッツを使いながらの戦いが繰り広げられました。
私このコンテスト観て初めて知ったんですが、ホテルのバーテンダーと街中のバーテンダーは流儀が違うんですな。いや、ホテルのバーマンは仕草がロボットみたいとか、髪を七三に分けてるとか、そういう違いは何となく感じてたんですが(おい)、メジャーを使うか使わないかと言うことなんです。
普通のバーテンダーはメジャーカップを使うけど、ホテルのバーテンダーは使わない(人が多い)。コンテストが終わった後に審査委員長のバーテンダーさんが総評で触れてて気づいたんですが、確かに言われてみればホテルのバーマンってメジャーカップ使わない気がするよなあ。
使わない方が所作がいいという訳でもなくて(たぶん)、どちらがいいというのは特にないと思うんですが、こういうコンテストはホテルのバーマンが強いのは一般的な傾向のようです。ネーミングからしてはっきり賞狙いをアピールしてたりするし。

しかし、今回2位3位のホテルのバーテンダーを抑えて優勝したのは、街中バーテンダーでおまけに女性。試技の時からカッコイイなと思っていましたが、あっさり優勝。おまけにアサヒビールの特別賞もダブル受賞。
バーテンダーも本格的に女性の時代の到来、なんて決まり切った言い方してもしょうがありません。何たって今回出場選手の3分の1近くが女性だったんですから。

それにしても、さっきも触れたコンテストの総評が面白かった。
今回のコンテストは一人のバーテンダーがオリジナルカクテルを3杯作るルールなんですが、普通のコンテストは5杯だそうです。3杯にしたのは「その方がより実践的だろう」と言うことだったんですが、総評では「3杯のカクテルを5杯の時と同じようにシェイクする選手が目立った」とお説教。つまり、シェイカーの中に入っている量が違うのだから、当然シェイクを変えないと水っぽくなってしまうということなのです。うーん、確かに。
その他にも、プロならではの細部にこだわった批評が展開されて素人としては感動モノでした。

さてコンテストの後はスポンサーのアサヒ・ニッカウィスキーセミナー。
大昔、ニッカに就活もしたことがあるので(本当)、ニッカの基礎知識はなくはないのですがやっぱりテイスティングが目当てであります。
今回のテイスティングは次の5種類。
1)余市12年ウッディ&ヴァニリック
2)余市12年ピーティ&ソルティ
3)シングルカスク宮城峡12年フルーティ&リッチ
4)シングルカスク宮城峡12年シェリー&スイート
5)シングルカフェグレーン12年

中でも白眉は新樽熟成の1)。個性の強い余市ならではと先生が自信を持って出しただけあって、うまい。「ウッディ」=森の香りなんですが、新樽臭くない。
うーん、市販はしてないみたいなんですが、ああ、呑みたい。もっと飲みたい。
あと、5)は、要するにグレーンなんですが、あの味も素っ気もないグレーンがこうまでうまいかと感じされるものでした。

さて、最後はチャリティカクテルパーティです。
今まで「カクテルパーティ」と名の付くパーティには何度か出たことはありますが、今回は本物。だって、本物のバーテンダーがわんさか集まって、作るのも飲むのもプロばっかという「カクテル」パーティなんですから。
ちなみにコンテストで入賞したカクテルも飲めることになっていたのですが、残念ながら人気がありすぎて僕は飲めませんでした。あっというまに100人くらい並ぶんだもん。だから感想はなし。今度お店に行って飲もう。
酒造会社やアルコールの輸入代理店さんのブースもずらりと並び、各社イチオシの酒が飲みホーダイ。もう天国ですなこりゃ。
中でも、日欧商事(イタリアの食材専門だと思う)のブースにずらりと並ぶグラッパの数々に感涙。素っ気ないデキャンタも何本か並んでるから、何かと聞いたら、「この秋から受注するグラッパ」とのことで、あれもこれもと片っ端から飲んでしまいました。うはは。

そして広い会場がすっかり酒くさい空気にずっぽりと包まれた頃、お約束のプレゼント抽選大会。子どもの頃からくじ運のカケラもない私は無視してひたすら飲んでいたところ、会場一杯に響き渡るのは当選番号のアナウンスではなく、私の名前。
(何か落とし物でもしてしまったのだろうか)と呼ぶ声に応えると、「ベストドレッサー賞の発表」っておい、冗談でしょう?!。
もう一人呼ばれた女性も心底驚いた表情でボー然としています。
着てるモノを人から褒められたなんて生まれて初めての経験で、マイク向けられたって何も話せません。情けないことこの上なし。っていうか、せめて10分前に教えてくれよお。

最後はなんだかよく分かりませんでしたが、楽しかったことは間違いない休日でした。

posted by 紅灯 at 01:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 酒・料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月01日

スターに会いたくて

集英社の映画雑誌「ロードショー」が休刊になるそうだ。
今までよく頑張ったというところかもしれない。
しかし、新聞などによると「ネットに押されて部数が減少し」ってことになっているけれど、それはちょっと違うんじゃないかなと思う。

「ロードショー」が35万部を売り上げたピークの記録は、スピルバーグの「E.T.」が公開された時だった。社会現象になりましたなあ。あのグロテスクなETのぬいぐるみがバカ売れしたんだから、女の子の「カワイイ!」は今も昔も軽くみるもんじゃありません。
あの頃僕は高校生。前売り買いましたよ、ET。好きだったクラスの女の子を誘おうと思って。
学校で誘おうと思うんだけど、1日ちらちら彼女を見るだけで、結局声もかけられずぐったりして帰宅。
よしこうなりゃ電話しかないと(当たり前)、勇気を奮い起こして夜8時(つまり2時間くらいどーしよーか電話の前で悩んでいたのね)、彼女の自宅に電話。

「もしもし紅灯ですよかったらET観ませんか前売りあるんですこれがなぜかたまたま来週の日曜日なんてどうですか都合が良ければ」
私の最初で最後のマシンガントークでした。
すると電話の向こうはしばし沈黙。あれ、と思って再び口を開きかけた瞬間、間髪入れず返事がありました。
「あ、妹のお友達かな?呼んできますね、妹」
その後本人に何話したかなんて憶えてるわけがない。顔どころか体中が燃えるように熱かったのだけは鮮明に覚えてるけど。たぶん40度以上は出てたな、あの時。
この一件以来、いまだに私は電話が嫌いです。
今のガキどもの恋愛が軽いのは携帯ですぐに連絡取れるからだ!なんて思うのはまあ、この世代のオッサンの共通項でしょうな。

「E.T.」はちゃんと二人で見に行きました。同じクラスの野郎と。
スピルバーグの映画の中ではそれほどいいとも思えなかったけど、まあたぶんそれは多分に個人的な遺恨が含まれているのかもしれない。
それより「E.T.」に関するいろんな情報はみんな「スクリーン」や「ロードショー」から学んだ。あ、「スクリーン」というのは近代映画社が出している雑誌。よく「ロードショー」と見分けが付かないなんて言われていたけど、「スクリーン」は戦前からある老舗で、「ロードショー」の方が後発にあたる。
老舗だけあって、「スクリーン」のほうが何となく垢抜けなかった。写真のレイアウトとか、フォントとか、写真のキャプションやコピーとか、全体に古くさい感じがした。中でも人名の表記が独特で、「アル・パシーノ」とか「スチーブン・スピルバーグ」とか。いわゆる老舗のこだわりがぷんぷん漂っていて、私は逆になんだかそう言うところに惹かれて「スクリーン」の方を愛読していた。
なんていって実はポルノ映画情報も「スクリーン」に載っていたからというのは大声では言えないがこれも大きな理由(「ロードショー」は途中でなくなった)。

この頃僕はイザベル・アジャーニーに恋いこがれていた。アジャーニーは当時既にフランスを代表する女優だったけれど、この頃フランスと言えば「ラ・ブーム」のソフィー・マルソーが大ブレイク中。アジャーニみたいな渋めの女優にはなかなかスペースを裂いてくれないのが不満だった。
「スクリーン」も「ロードショー」も、要は「明星」の外タレ版みたいな雑誌なのでそれが当たり前なんだけど。
でも、アジャーニの映画なんて、アメリカで作った「ザ・ドライバー」以外はテレビの洋画劇場ではやらないし、田舎町に名画座なんてないし、あっても金もないし、とにかく情報がない。つまりご尊顔をあがめる機会もなかったんだね、グラビア雑誌以外には。

レンタルビデオという、チープなアイディアの割に映画に革命をもたらしたシステムはこのすぐ後に現れた。レンタルビデオは、映画作りとか、興業の形態とか、そういう映画産業の根本に大きな変化をもたらすことになったわけだが、その一方で、田舎の色気づいたガキの生活も変えた。

それまで「スクリーン」や「ロードショー」でテレビの洋画劇場や深夜劇場を一ヶ月先までチェックし、それでも好きな女優にあえなければグラビアでページを眺めて我慢していた坊主は、いつでもほんの数百円でアジャーニに会えることに気づいたのだった。
アジャーニだけじゃない。デニーロやホフマンの名作も、深夜にさんざんカットされ半分くらいしか残っておらずストーリーもよく分からなくなったものを大事にビデオにとって観る必要もなくなったのだ。ああ、なんてすばらしいんだ!

そして少年はさんざん世話になったチープなグラビア映画雑誌に背を向けた。
彼はミーハーな自分を卒業した気になって言い放った。
「あんなものは子どもが読む雑誌だ」

それからずいぶんと時が経ち、彼はあの頃の自分を慰めてくれた雑誌が一つ、姿を消すことを知った。
今彼は、映画をミーハーに楽しみたいと思ってる。
心の底から思っているのに、もうそれは実現できない歳になってしまった。
彼の手の中にあるのは、懐かしさだけ。
やっぱり、もう「スクリーン」を買うことはないだろう。
posted by 紅灯 at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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