2008年08月31日

悪を殺せ

少々前の話になるが、盆休みに帰省して暇を持て余し、何を見たいということもなく映画館へ出かけた。シネコンなので拾いものがあるわけでもなく、おまけにちょうどこの日の夜には花火大会も予定されていたので、花火の前に「ポニョ」でも観ようかってなカップルでチケット売り場はごった返していた。
シネコンでカップルで花火大会である。一人で映画を楽しむのに最高のシチュエーションとは言い難い。参ったなと思いつつ上映リストを見上げると目を引くタイトルがあった。

「ダークナイト」

我が偏愛するクリストファー・ノーランの新作だ。とはいえこれは「バットマン」ノーランシリーズの第2作目で、前作は観ていない。映画では食わず嫌いをしない私としては珍しく、アメコミの映画化が苦手である。実をいうとスパイダーマンもハルクも観ていない。良い評判は聞くのだが。
ただこの「ダークナイト」はCMでちらりと見て印象に残っていた。最近のアメリカ映画でTVCMが印象に残ること自体珍しい。それに「ダークナイト」というタイトルのみで「バットマン」がまるで強調されていないのにも好感を持っていた。かなりノーランの作家性が出ているフィルムのような気がしたのだ。

しかし一方でイヤな話も耳にしていた。全米公開の第1週のボックスオフィスが160億円というとてつもない新記録を打ち立てたというのだ。この手の記録を謳われる映画にまあロクなものがないというのが私の偏見だ。
とはいえ、ヒマだし一人でポニョ観てもしかたない。ちょうど時間もタイミングが良かったので躊躇なくチケットを買った。

驚いたことに客席はほぼ満席である。バットマンシリーズなのだから驚くこともないのかもしれないが、何となく違和感がある。なぜ違和感が、と思ったら、カップルに対抗するように一人の客が目に付くのだ。それも女性の一人客も割といる。何となく期待が高まる。

映画はバットマンの偽物が現れるところから始まる。前作を観ていない私には少々理解できないシーンもあるにはあったが、すぐに映画の設定は飲み込めた。
いきなり登場したバットマンはコスチュームがマッチョで、なんとなく桃太郎侍を連想させたが、バットマンスーツを脱ぐとクリスチャン・ベイル。かなりギャップがある。
ベイルはノーランの前作「プレステージ」での人を食ったような怪演がまだ記憶に新しいせいか、正義のヒーローと言うより、「こいつまたなんかやらかすんじゃねーか」みたいな雰囲気を漂わせている。
バットマンとタッグを組む熱血正義漢の地方検事には、二枚目過ぎて怪しすぎるアーロン・エッカート。
でもってバットマンの忠実なる執事にはなんとマイケル・ケイン。正体不明の怪しげなオッサンを演じさせたらこれほどうまいヤツはいないという、ほとんどハリウッドの寺田農だ。バットマンの執事がマイケル・ケインなんだから、「ひょっとしたらバットマンは実は悪いヤツというオチなのかもしれない」と裏の裏を読もうとする映画ファンは決して少数派ではないと思う。
でもって、警察内部の裏切りに頭を悩ます正義の刑事がゲイリー・オールドマン。って、おい、裏切り者は普通オールドマンだろう。
こんなキャスティングだから落ち着かないというか、善悪安心して観られないこと甚だしい。
この映画、悪役ジョーカーを見事に演じたヒース・レジャーのキャスティングに注目が集まっているが、他のキャスティングにもこれだけあからさまな狙いが込められているからこそレジャーの異常なジョーカーぶりが映画の中でしっくり来たと思う。例えば、ジョーカーと言えば悪趣味な化粧というかピエロのメイクがバットマンより有名だけれども、この映画ではジョーカー自身の汗で滲んだり剥げかけたりしている。はっきり言って薄汚い。こんなジョーカーイヤだ!という人もいるだろうが、記号としての(マンガのキャラクターとしての)「ジョーカー」を否定しているだけにすぎない。

なのに、「バットマン」は徹底して「バットマン」として描かれている。
今時こんなヒーローの造型は時代遅れだろうっていうくらい、ロコツに「バットマン」はヒーロー。
なにしろバットマンはその事に悩むくらいなんだから。
そう、これこそがノーランのたくらみ。

悪に再び汚されつつある街の情況を冷静に分析しようとするバットマンは、自らの行動が正しいのか悩み続ける。その間にもジョーカーは着々と手を打ち、行動を起こし、悪を広めていく。観ている方はイライラさせられる描写の連続だ。ついつい誰もが思うだろう。
「悩んでいるヒマがあったら、あいつを殺せ!」と。

実際、この映画では、普通の市民たちが不安や怒りに駆られ、ジョーカーの思うつぼと知りつつも、自らや家族を守るためになんの恨みもない同じ市民を殺す、または殺そうとするシーンをイヤと言うほど見せつけられる。「やらなければこっちがやられる」という「テロとの対決」の真実が徹底して卑俗に暴かれる。その卑俗さをメイクの流れた汚らしいジョーカーが象徴する。
しかしそれに対してバットマンは何もできない。暴れるジョーカーに便乗して甘い汁を吸おうとする中国マフィアのマネーロンダリングは摘発するが、本筋であるジョーカーには手を焼くだけ。
それはバットマンが「ヒーロー」であるからだ。ヒーローは決して間違ったことはしてはいけない。たとえ相手が悪人でも、「大量殺戮兵器がある」などと嘘を言って闇討ちにするようなマネはヒーローには許されないのだ。

映画では、バットマンに代表される「正義」は頼りないもので、ジョーカーに代表される「悪」は頑強なものとして描かれる。なぜなら「正義」は相対的なものに過ぎないうえ、いろんな民主主義的手続きを踏まなければならず、それをすべて無視して突き進む「悪」は絶対的なものであるから、結果的に悪の方が強くたくましく見えるのだ。それはアメリカが、アメリカ人が、西部開拓の時代から今も求め続ける強くたくましい「力」と重なっていく。

もちろん今やそれはアメリカに限ったことではなくて、何も迷わず即断即決、ワンフレーズポリティクス、わかりやすい言葉、断固たる決断と行動力こそがリーダーの条件などともてはやされるどこぞの国でも同じことだ。結局グローバリズムなんていうものは、自分の頭で考える思考力を代行するシステムのことに過ぎない。何が正しいかなんて個々人に判断されるとグローバリズムは成り立たない。

我が日本を代表するヒーロー、ウルトラマンはかつて、暴れ、街を壊す怪獣を「早く退治してくれ」と懇願する人々に、「勝手なことを言うな」と言い捨てた(帰ってきたウルトラマン「怪獣使いと少年」)。
この映画でアメリカンヒーローは、何のために戦うのか。
ジョーカーの策略に見事にはまり、恋人も友人も(事実上)失ったバットマンは、それでも自らの正義にすがりつき、怒りを奮い立たせる。
それに呼応するように正義を持つ少数の人々が立ち上がるのだが、その段階まで映画は徹底したシニカルなリアリズムで描いてきただけに、この展開を甘いとみるかどうかは意見が分かれると思う。
しかし、その後の結末も決してハリウッド的調和では終わらないから、これくらいのカタルシスは必要だったと私は思う。
だってこの映画、一応娯楽映画のはずなんだから(観客はもう忘れていると思うけど)。

映画が終わった後、観客の表情は一様に暗い。当たり前だ。何も救いが用意されてないんだから。
これほど後味の悪いヒーローものは、前述した「帰ってきたウルトラマン・怪獣使いと少年」以来だった。
まあ、何も知らずに「バットマンだから」って観にきたカップルは、気分を切り替えるのは大変だろうな。

しかし、アメリカではこの映画にわんさと人が詰めかけ、ボックスオフィスを塗り替えているというのだから、アメリカは「正義と悪」の二項対立がどれだけ無意味であるかに気づき始めたのだろうか。
それともついに狂い始めたのだろうか。

ラベル:ダークナイト
posted by 紅灯 at 20:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月24日

エルミタージュ・ドゥ・タムラ

フレンチの名店として知られるエルミタージュ・ドゥ・タムラに行く機会がありました。
以前、オーナーシェフの田村良雄さんの著書を読んで、一度行ってみたいと思っていました。
素材重視の料理への姿勢はもちろんですが、文章から伝わる誠実で柔和な物腰が「ああ、この人の作る料理はうまいだろうなあ」と思わせるものがありました。

メニューは3種類のコースのみ。コース苦手、アラカルト重視派の私としては最初ちょっと抵抗がありましたが、著書を読んで納得。信頼のおける網元からしか魚介を仕入れないので、アラカルトとして定番メニューを揃えるのは無理がある。それより、その日入った食材でコースを組み立てる方がよいという考え。確かに立地を考えると正解だと思う。

コースは8000、12000、15000円の3種類。今回は12000円を頼みました。
1品目は「萩の鱧パスタ 黄色いガスパチョソース」。
ハモのすり身を塩のみでトコロテンの要領でパスタ状にし、ミョウガやトウガンとともに黄色いトマトを使ったガスパチョソースであえています。

お次は「茄子のジュレ仕立 ニンニク風味のエスプーマ」。
これは文章で説明するのはなかなか難しいのでありますが、白身の魚をコンソメのジュレでマリネし、そのまわりを焼きなすで包み、セルクルで形を整えたところにニンニク風味のエスプーマをたっぷりかけたもの。すこしニンニクが強いかなと思いました。

3品目は「鮎のサラダ キュウリソース」。
どこのアユかは説明されたけど忘れました。カリカリに焼いたアユにキュウリのソースって、ありふれてる!と思いますでしょうか。いやいやいや、これがそんじょそこらの皿ではありません。
アユの香りを損なわない程度に軽く燻製してあって、さらにパートフィローを巻いてかりっとした食感を高め、汁気たっぷりのキュウリのソースで食感が損なわれないようになっています。
ちなみに、たっぷりのサラダにはソースに使ったキュウリが丸ごと一本、二つに切ってごろんと皿にあわせてあって、丸かじりも楽しめます。田村シェフの「これだけうまいキュウリを使ってるんだぞ」という自信と遊び心が感じられます。

4品目は「萩のウニとランド産フォアグラのアンサンブル」。
これは絶品!ウニとフォアグラのコンビなんてうまくて当たり前だろと言われそうですが、うまいものはうまい。
ウニとフォアグラなのに、ちっともくどくない。ウニの潮の香りとフォアグラの甘みをオクラがつなぎ合わせて、もう天にも昇る心地で平らげました。

5品目は「桃のスープ」
タムラを夏に訪れるほとんどの客が楽しみにしていると思われる名品。
実をくりぬいた桃を凍らせて器にしており、桃の果肉の冷製スープと一緒にシャーベット状になったところを削りながら食べます。

6品目の魚、「真魚鰹のアジア風マリネ 野菜のピラフ添え」
真魚鰹の脂のノリ、皮パリ中しっとりの焼き加減、ソースの塩梅。言うことありません。
ソースは最初バルサミコかと思ったんですが、ニンニクの黒酢漬けを使ったものだそうです。
本日のベストディッシュ。

7品目の肉、「イタリア産子兎のロティ ロゼワインソースラヴェンダー風」
子ウサギの柔らかさと独特の軽いクセがロゼソースに包まれて、優しさと野趣が同居する逸品。

チーズ。
7種類くらいのお勧めの中から、マールでウオッシュしたエポワスや、脂肪分が通常の倍以上というクリーミーで濃厚なブリなど3種をチョイス。それまで白ワインを飲み続けていましたが、せっかくなのでマール(ブルゴーニュ)も注文。

デザート
3種類の中からチョイス。私はマンゴープリンココナッツソースを選びました。
コーヒーはエスプレッソをオーダー。

最後に。
メロンとメロンスープで〆でした。

実は最初にちょっとしたトラブルがありました。
前述のように1万2000円のコースを予約していたのですが、当日、着席するとどうもおかしい。
若いウエイターさんがコースメニューを持ってきたあと、「おきまりですか?」。
「予約の時にお願いしていますが?」と答えると、「すみません、言い方が適切でなかったです」となんだか分かったような分からないような返事。
で、渡されたコースメニューは、予約時に聞いたコースと比べてやや寂しい気がしたし、そもそも桃のスープがありません。聞くと「サイドオーダーになります」とのこと。では、と追加して、食事に入ったのですが、疑念は消えません。
で、結局途中で「このコースは予約したコースと違うのでは?」と尋ね、ようやく8000円のコースと取り違えられていたことが判明しました。
その後のウェイターさんの対処の仕方はそれほどスマートとは言えなかったのですが、フロアホステスを務める田村夫人が謝罪に来られ、最後には田村シェフご自身も来られてかえって恐縮しました。
タクシーに乗って店をあとにするまで田村夫人の細やかな気遣いは続き、初めての来店にもかかわらずゆっくりと会話を楽しむこともできました。

近年タムラは予約も取りにくく、有名になりすぎたのか、ネットでは厳しい意見を目にすることが多くなりました。
しかし私としてはやはり今も最高レベルのフレンチだと思います。
野菜をはじめとする旬の素材の数々(旬以外のものは全く出てこない)は文句の付けようがありませんし、その素材を最大限生かすための想像力は生き生きとして、それを実現するための技術は申し分ありません。
1年に1回訪れたい、大切な店です。

ラベル:フレンチ
posted by 紅灯 at 20:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 酒・料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする