2008年04月27日

17年ぶりに

まだ私が駆けだしだった時代に知り合った、同じ業界の先輩と飲んだ。
最後に別れたのが17年前だ。だけどちょっと体格が良くなった点以外はそんなに変わらない。
今は福岡で管理職をしているその先輩、仮にAさんとするけれど、私の知るAさんは温厚で優しげな青年、という印象だったが、今は鬼で知られる存在らしい。
でも私への接し方は当時のままなので、私には今ひとつピンと来ない。きっとそういうものなのだろうと何となく納得しながら杯を重ねた。
1軒目、2軒目ときて3軒目どうしようというところで、Aさんがある店に行きたいと店の名前を出した。
その名前を聞いて、私のこの数年間の疑問が氷解。実は熊本に戻って以来、夜の繁華街を歩いていると、とある雑居ビルの1階にあるスナックの看板にどうも見覚えがある。前回熊本に住んでいた頃に行っていたような気がするのだが、しかし覚えがない。なので入るに入れず首をかしげるばかりだったのだが、そうか、Aさんと一緒に行ってた店だったんだ。
店までたどり着き、ちょっとのぞくと、結婚式の3次会か4次会が終わりかけみたいな雰囲気で大変込んでる。騒然としていて座れたとしても、「どうもお久しぶりです、実は昔」なんて話を切り出せるような雰囲気でもなさそう。
二人して戸口に立って(タイミング悪いなあ)と顔を見合わせたその時、カウンターの奥で忙しそうに洗い物などを片付けていたママさんがこちらをちらり。
「あら、Aさん紅灯ちゃんひさしぶり、そこ空いてるけん、座りぃ」
その言い方が、まるで一週間ぶりぐらいかのような自然な言い方だったので僕らは二度びっくり。思わずぎょっとして、「あの17年ぶりくらいなんですけど…」と座るのも忘れて言いかけると、ママさん、「知っとうよぉ、どうしたんね今日は。そこ早よ座り」とにこり。
で、おしぼりなどもらいつつ、かいつまんで話をしていると、「一度か二度しか来てないわけじゃなし、忘れるもんね」とぴしゃり。「Aさんも紅灯ちゃんも変わらんね」。
僕だけ「ちゃん」づけなのは、当時ぺーぺーの新人だったのでそう呼ばれていたのが17年の時間を無視して蘇ったらしい。
このお店、今年で開店して25年くらい経つらしいんだけど、浮き沈みの激しい業界で「続く店」というのがどんな店なのか、その片鱗を教えてもらった気がした夜でした。
ちなみに、オールドパーをがぶ飲みして一人2500円。17年ぶりのAさんと17年ぶりの店で多いにも盛り上がったのはいうまでもありません。
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2008年04月23日

門司の牡蠣

なんだか時季外れの話題で申し訳ないけれども、牡蠣の話です。
福岡県は北九州市の門司の牡蠣をもらいまして、食べてみたらこれが旨いのなんの。
地元だから旨いっていってんだろうなんて思われそうですが、違います。
大体、昔の北九州の海を知ってる人間は、そこで採れた牡蠣を食べようなんて思わないって。
最近は門司の海どころか、小倉や新日鐵のある八幡の海もすっかりきれいになって、かつての「七つの海」ならぬ「七色の海」が嘘のよう。
門司では八〇年代くらいから牡蠣に取り組んでいるらしく、最近少しずつあちらこちらで取り上げられているとのこと。
まずなんと言っても大きい。小さいものでも直径七,八センチある。岩牡蠣に似ている。そして殻を外すと、身がぎっしり詰まってる。
まるでアコヤガイのようにぎっしり詰まってて、持ち重りがする。
そしてなんといっても、きれいなんです。
普通牡蠣ってのは、大根おろしでもみ洗いして汚れを落とすけれど、この牡蠣はそんな手間は全く必要ない。
私、殻を外した牡蠣をそのまま食べるのは実は苦手で、その理由は、大根おろしで丁寧に洗った牡蠣の方が絶対に旨いと思っているからなんだけど、この牡蠣は殻を外してすぐに食べて十分に旨い。生牡蠣が苦手な人っていうのは、実は汚れの部分についている生臭さが原因であることが多いんですが、この牡蠣にはそれがない。

なのでいろんな食べ方ができちゃう。
とりあえずカキしゃぶ
うちのは地鶏のモモ肉と昆布でだしを取った中にさっとくぐらせます。ほんの「しゃぶ、しゃぶ」程度でさっと引き上げ、ポン酢で頂きます。箸休めに鶏モモつまんだりしてね。

で、お次は中華風に牡蠣の清蒸。これは殻から外した生牡蠣にシャンツアイと三つ葉を載せ、火がつく直前ぐらいに熱したごま油をジャアアアとかけ回す。

和風、中華風ときて、お次は洋風。いきなりイギリスに飛びます。
牡蠣をオリーブオイルで軽くソテーし、上からスコッチウイスキーをややたっぷりめに振りかけます。レモンをそえて頂くと、それまでとはまた全く違う牡蠣の味を楽しめます。

最後はもちろん、牡蠣飯でごちそうさま。

門司の牡蠣も、もうそろそろシーズンは終わりだそうで、来年の楽しみが一つ増えました。
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2008年04月21日

寿司の旨さと年齢の関係

とある寿司屋に行きました。
あんまりいいところなんで、名前を書くのはやめようかとも思ったんですが、熊本市内からも割と離れているし、そもそもそんな影響力のあるブログでもないので、紹介します。
「正六」というお店です。
こちらも絶品の料理をさくさくっと作ってしまう私のお気に入りの店(「疲労回復」の回をご参照)のご主人が連れてってくれました。
カウンターに座ると、息子らしい若い職人さんと、60がらみくらいのご主人。
この主人がいかにも寿司屋の主人というか、ガンコオヤジを絵に描いた風な雰囲気です。寿司屋のカウンターに座って「怖いぞ」と思ったのは久しぶり。
ビールで乾杯し、おつまみに刺身をおまかせ(というか、「何にする?」「あ、最初はつまみで・・・」「あいよ」という具合で、自動的におまかせになったのです)。いきなり中トロが出てきてびっくりしたものの、そのあとイカの細切りをごまとゆず胡椒であえたものがうまい。ウニは天草のもの。厚切りのアワビは塩をのせ、歯ごたえが絶品。いわゆる高級ネタが並んだのはこちらが初めてなせいだと思う。

そろそろ握ってもらおうかなあと思っていたところに、穴子の白焼き。
「この時期だから、たいしてうまくねえけどな」のセリフ付き。うらうら、怖いでしょって、楽しんでますが。
で、この穴子がうまくないどころか、もう絶品なんですよ。かすかにたれを塗って焼いたものにわさびをのせているんですが、このたれと焼き加減とわさびの加減がもう絶妙。口に入れると「ああ、穴子ってのはこんなにうまかったんだよなあ」と実感させる逸品です。この時期の穴子をここまで食わせるのか!!といきなり海原雄山状態。
「これ、うまい!」と思わず声が大きくなったら、ご主人ちらりとこちらをみて、「うめえわきゃ、ねんだよ」とぼそり。でも顔が照れてる。かわいいじゃないかおやじ。

このあとは食欲に火がついて、もうとまらない。
赤貝がまたうまい。見事なオレンジ色に思わず見とれて食べるのを忘れるほど。口中に投入しても、生臭さなんぞ派あるわけはなく、赤貝独特のさわやかな春の香りが鼻に抜けていくんですな。
「うまい、うまいよお」などと感激していると、頼んでない寿司がそっと出てきました。なんと、先ほどの穴子の白焼きを握ったヤツです。ご主人がうつむきがちにぼそっと一言。
「シャリ付きで、どうぞ」
くーっ、格好いいぞお!。

そろそろ締めにかんぴょう巻きでもと考えていると(私締めはわさびをきかせたかんぴょう巻きと決めてるんです。でも最近かんぴょう巻き出さないところが多くて。かんぴょうって安いのに手間かかるからね)、「お客さん、サビ巻き、いく?」。
「もちろん!」と答えてすぐに頂いたものは、一見普通の海苔巻き。見た目で違うのは、普通4本に切るとことを2本に切ってあって、長い。パクつこうとすると、若旦那が「一気にいかない方がいいスよ」とアドバイス。
慎重に囓ると、これがいい香り。わさびの辛さよりもまず口の中に広がるのは、かすかに青いわさびの鮮烈な香り。そしてシャクシャクとした歯触り。見ると、細い白髪ネギのように切ったわさびの茎が詰まっているんです。
「茎の方は辛さはねえんだ。香りだけ」というご主人の言葉どおり、これがサビ巻きなんだよねえという究極の巻物でした。
締めにはこれほどいいものもないんだけど、最大の欠点は、これ食べちゃうとまた一から食べたくなっちゃうと言うこと。

次第にご主人も口がなめらかになってきて、いろいろ話を聞かせてもらったんだけど、修業して店を持ったのは40を過ぎてからだそう。その理由は「若くて店持っても、客になめられるから」「歳を重ねて初めて寿司屋ってのはやれるんだと思う」
客も同じだと思うんですよね。いくら旨いモノが喰いたくても、寿司屋には寿司屋の流儀があるわけで、20代や30回ったくらいでカウンターに座っても、そもそも居心地が悪い。歳取って初めて分かる世界ってのも、やっぱりあると思う。
だからって、歳とっていればいいってもんじゃないのは当然ですが。

至福の寿司屋、発見。
歳を取るって幸せだなあ。
ラベル:寿司
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2008年04月19日

楽しくて平和だったらいいじゃないか

琉球チムドン楽団のライブに行ってきた。
声をかけられるまでその存在を全然知らなかったんだけど、ディアマンテスの元リーダーのボブ石原が始めたユニットらしい。
事前に、「ジャズとポップスと沖縄音楽とチンドンとコミックと演劇と舞踊の融合」って聞いていたので、「大抵そう言うのって外すんだよなあ」などと危惧しながら出かけたのだけど、良い意味で大きく裏切られた。

融合と言われれば確かに融合である。
入れ替えなしの2ステージで、最初のステージは琉球王朝風とチンドン風の融合した衣装で登場。でもよくまとまっていて違和感はない。確かに沖縄民謡がベースだが、あざとさはない。ジャズやロックの間を普通に行き来する、正統的なフュージョンだ。
ボブ石原のMCはコミカルだが、時に荒々しくて少しひやりとさせる。するとすかさずヴォーカル兼舞踊の女性、舞凛(まりん)さんのツッコミというかフォローが入って和ませる。基本的には舞凛が舞台を進行させてボブ石原が絡むという形。
かと思うと、MCの代わりに小芝居が入ったりする。
なかなかこれは楽しいライブではないか、などと思っているうちに1部が終了。
2部までの間に、屋台の沖縄そばとタコライスを食べて泡盛などをなめつつ、(うーんこれは、渋さ知らズに近いのか)と思っていた。
編成は、ボブ石原がヴォーカル・ギター・チンドン太鼓。女性2人が舞踊兼ヴォーカル、ダブルネック三線(初めて見た)の女性、ベース(も女性)、キーボード(も女性、元オリオンビールのキャンペーンガールだって)、ドラム(美青年)、そしてクラリネット・サックス。このクラリネットが良かった。ヨーダという名前で活躍している40くらいの男という以外何の情報も私は持ってないのだけれど、寺島進をさらにシャイにしたような外見でクラリネットを吹き上げるのは、中年男の魅力というか、なかなかセクシーでありました。
でも2部が始まるとすぐに、これは「渋さ知らズ」という路線ではなく、「琉球チムドン楽団」という唯一無二の存在なんだなあと確信することに。

2部はいきなり演劇から。
最初に「今から情話をやる。コメディだ」と宣言されるんだけど、その芝居のタイトルが「沖縄ガマの日本軍の幽霊」。
ガマというのは沖縄の鍾乳洞で、沖縄戦ではそこに避難した兵士や市民が手榴弾を投げ込まれるなどして悲惨な最期を遂げた場所だ。
「いいのかそんなもんギャグでやって」という心配は無用でした。吉本新喜劇系というのか、コメディで色をつけつつ人情話に落とすというスタイルで、20分くらいだったのかな、芝居そのものは大変真剣で、良くできていました(ボブ石原の日本軍兵士の幽霊の衣装は本物の自衛隊の制服だし)。
最後には平和を強烈に訴えるメッセージ舞台なんだけど、そこでボブ石原が一言。「こういうのをやると2割位の客は引く」。
「本当はミュージシャンでこんなのやって許されるのは喜納昌吉だけ」。客は爆笑。うまいよな。

で、メッセージソングを続けるのかと思ったら、あっさりと路線転換。いきなりダンスの始まりです。
座りながら出来る手踊りから始まってうまく客を乗せていく。
気づくと客がほぼ全員踊ってる。いす取りゲームみたいに一列になって会場をぐるぐる踊りながら回ったりして。ちょうど曲が終わったところで偶然私が立ってたのがボブさんの真ん前で、顔をつきあわせるような距離でMCやら次の曲やらを聴くことになってしまった。

会場は10代から60代くらいまでかなり幅広かったのだけど、皆大変に機嫌良く踊り歌い、アンコールは万雷の拍手。
結局1部スタートが7時半、2部終了が11時近いという、これぞライブハウスの醍醐味という時間を味わったのでありました。

CDは3rd「心もよう 夢もよう」が正式には来週出るそうですが、会場で先行発売されていました。過去のと併せて買っちゃいました。
これははまるぞ。

posted by 紅灯 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

スイカの表と裏 その2

実は、携帯からブログを更新するなどということを私もちょっとやってみようと思って、前回試したんですが、なんだかあんまりよくありません。文章の調子もヘン。何より、えらく時間がかかってしようがない。面倒くさいし。「別人が書いたんじゃないか」なんてメール来るし。
うーん、携帯から更新すれば楽になるかなあと思ったんだけど。やっぱりやめよう。

ということで続きですが、スイカの表と裏って、本当にあるんです。
どこが表でどこが裏なのか。
青果の仲卸の人によりますと、「陽が当たってる方が表、あたってない方が裏」なんだそうです。
一瞬「?」となってしまいますが、スイカってのはでかいから、どーんと畑の上に転がってるわけですな。
一度場所を決めて居座っちゃうとなかなか動こうとしない。風が吹いたくらいじゃ微動だにしません。
すると、まるで一戸建ての家みたいに、日当たり良好な南向きの庭部分と、日当たりがよくないトイレか裏庭みたいな場所が出来るわけです。
だから、「陽が当たってる方が表、あたってない方が裏」。
かなり甘みも違うそうで、当然これは陽が当たってる方が甘い。

肝心の見分け方は簡単明瞭。
表側(陽がよく当たってた方)は、成長がよいので、裏にくらべて良く育っているそうです。
つまり、いいですか、表の方が「円周が長い」んです。
いやあ私、この歳までスイカってのはまん丸いものだと思っていたんですがね、実はゆがんでるんですよ。極端に言うと昔のimac(シースルーで一世を風靡した)みたいな。

これからスイカを食べるときは、是非、「表側を切って下さい」と頼みましょう。
「スイカのトロばかり食うヤツ」などと言われるかもしれません。
posted by 紅灯 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スイカの表と裏

はい、そのまんまです。
世の中にはすべて表と裏があるものでございます。

何が表で何が裏なのか、それを判じることは難しいことでございます。
しかしこの世は表、恨みも表、それでは判じる神さんも大変というものでありますな。

ですから、当座の掟として表、そして裏、それを作ったとしてもそれほど問題でもあるまいなと。

「じゃあなにかワレ、すべてのものに表と裏があるゆーんなら、ホレこのスイカ、表と裏、見せてみらんかい!!」

これも話の当然の帰結というものでございます。

ぼてーっっっと転がってるスイカ。
これに表と裏があろうなど、誰が思いつくものなのか。

あるんです。
スイカに表と裏が。

青果市場の人が力強く言ってました。

「アンタ、知らんと?」

(普通知らん)

「こっちが表、こっちが裏たい!!」

(???)

「見りゃわかろうが」

????????????????????????
????????????????????????

わかりませんでしたが、スイカは食べました。
うまかった。

表と裏の違いは、次回に。
posted by 紅灯 at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

休日は疲れを取るためにあるのです

今週は結構忙しくて、気がつくとブログの更新もろくにやってない。
このブログ、割と長文が多いので時間かけてると思われてるみたいだけど、実は長くてもせいぜい20分程度。でも今週はその時間もなかなかとれない有様で、何しろトイレにも行けない時もあったりする。膀胱炎で労災認められるんだろうか、しびん使えばいいじゃないかと言われるんだろうかなどと真剣に考えてしまった一週間でした。

でもきょうは久々の休日(もう終わっちゃったけど)。
充実した休日のための午前中から活動を、などという考えはなし。
なにしろ「明日は休みだ!」というわけで、杉本栄子さんを偲ぶ会に出席した他数人と熊本市で2次会。
1時過ぎからは最近寄ることができなかった我が寄港地コロンへ。
マスターに「疲れがとれるやつ頂戴」と無茶ぶりしたら、「はいよ」とあっさり。
何が出てくるんだろうとわくわくしていたら、予想を遙かに上回るものでした。
それは、マッカランとマッカランのカクテル。

ちゃんと説明しますと、アンバーというマッカランのリキュール(メイプルシロップの香りでかなり甘いがアルコール度数は高い)をフランベしてオンザロックのマッカランに注ぐものです。
このフランベが凄い。
グラスの中で燃やしたアンバーをかなりの高さからグラスへ注ぐんですが、この時青白い炎がまるで竜が下るようにロックグラスへ流れていくんですな。意表を突いた展開と、その美しさにいやもうびっくり。
だいたい普段そんなことしてくれそうにないし。それも男の客に。
完成したマッカラン&マッカランは、マッカランのコクとアンバーの甘み、氷で冷やされたマッカランと炎となって注がれたアンバーの熱が対流しながら口の中へ流れ込むおもしろさ。
アンバーの甘みが疲れた脳に効きそうだし、
「これは確かに疲れがふっとぶなあ」と思わず言うと、マスターにやりと笑って一言。
「酒の味もそうだけど、大仰な演出も効いたんじゃない?」

思い切り一本取られましたね。
思わず、「おお、すごい、きれい、うわーっっ」などと子どもみたいにはしゃいで、別のお客さんが、「俺、そんなのしてもらったことない」なんて言ってみんなで爆笑して、気づくと(疲れた‥‥うだうだ)なんていうのはすっかり忘れてました。
すごいなあ、バーテンダーという仕事はここまで考えるんだなあ、と完敗した(誰に?)夜でした。その後は結構飲み過ぎて記憶が怪しいんだけどね。

というわけで、昼頃までぐーぐー寝て、夜は夜でおとなしくしていようと思っていたら、夜の町の大先輩から一年半ぶりくらいのお誘いの電話が突然あったりして、結局午前様という休日でございました。

あすからまた労働じゃ
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2008年04月12日

縁(えにし)を語る会

先月亡くなった水俣病患者で語り部の杉本栄子さんを偲ぶ会が開かれた。当日参加の人も多く、結局200人くらいが集まったみたいで、会場の水俣市の結婚式場「あらせ」は席が足りなくなってしまった。

「杉本栄子さんとの縁(えにし)を語る会」とい名前の通り、いろんな人が杉本栄子さんを語った。原田正純さんはにこやかに、加藤タケ子さんは泣きながら。みんなその人らしく杉本さんを語っていた。
石牟礼道子さんは、珍しく感情を露わにして、後半は声を詰まらせながらの話だった。
けれども総じてみんな明るく、楽しく、朗らかに杉本栄子さんを語った。晩年の栄子さんは大変朗らかで明るかったからだろう。葬式の時とは違う、伸びやかな雰囲気に包まれていた。最後には、栄子さんが考案した(あまり知られていないけれど杉本栄子さんは日本舞踊の名取でもあった)水俣ハイヤを本願の会を中心にしたメンバーが踊って幕を下ろした。

会では途中、杉本栄子さんが残した詩(文章?)に、フォーク歌手の李陽雨さんという人が曲をつけた唄が披露され、李さん自身が歌った。
せっかくなのでここに残しておくことにする。

中に出てくる「のさり」というのは「贈り物」という意味の水俣弁です。

思えば、真実はひとつだと‥‥父は教えてくれた
この病気もすべてを のさりと思って生きていけ
愚痴を言うよりも のさりと思って生きていけ
人様は変えられないから 自分が変わってと
生きることの大切さを教えてくれた父

やっと自分の言葉で言えるようになった
水俣病の50年
宝子の叫びが聞けるようになった

見かけではなく 働きたい!
父母の懸命に仕事する姿を見ていた幼い頃
それは おそらく 父も母も、輝いてまぶしかった
自分たちもできる力で懸命に仕事をして
輝きたい!
なんて きれいな気持ちだろう

見かけではなく 働きたい!
宝子たちのさけびごえ
大学に行っても
働きたくない若者がいる
働けない若者がいる
でも 働きたい!
父ちゃんも母ちゃんもよく働いた
チッソも働いた
水俣のみんなが働いた

そして生きるとは‥‥
こげんこっつ

今なら まだ 間に合うのではないか
仕事して
みんなで食べて
語って
宝子たちののぞむもの
ほっとする家
子どもを見守る家
困りごとを相談する家
お茶が出て 時々はご飯も食べられる
でも みんなが少しずつ がまんもする家
そんな みんなの家をつくるため
今なら まだ 間に合うのではないか

今なら まだ 間に合うのではないか
間に合うのではないか


杉本栄子さんが心血を注いだ胎児性水俣病患者たちのための支援施設「ほっとはうす」の新しい建物「みんなの家」は、きのう完成祝賀式を迎えることができました。
出席した潮谷知事は、「知事として水俣病と向き合い、何をなすべきか問い続けてきました」として、「みんなの家」について、「私が行政の中でたった一つかかわることができた思いがある」と涙を浮かべて話しました。
潮谷知事は来週、退任を迎えます。
ラベル:水俣病 杉本栄子
posted by 紅灯 at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 水俣病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月07日

陽水の目の付け所

井上陽水のコンサートに行ってきた。
陽水さんはここ数年毎年ツアーをやっている。ことし還暦なんだが。
私が出かけたのは2008年ツアー最初となる北九州市のコンサート。今回は地元で幕開けだ。
さすがに地元ということで、井上陽水が登場するともうひっきりなしに声が飛ぶ。「陽水!」「よーすいー!」から、女性数人で声を合わせて「井上さーん!」まで。なんだか葛飾の映画館で寅さんの封切りを観てるみたい。

ひとしきり落ち着いたところで、オープニングは「Make-up Shadow」。
ところがこれが思わず?となってしまった。
演奏というより、音あわせというかエンジニアレベルの問題なんだろうけど、ボーカルと演奏の音のバランスがおかしい。歌がよく聞き取れないし、歌そのものの音が割れ気味でなんじゃこれは状態。ホールの前後左右ど真ん中の席だった私ですらこう思ったのだから、ひどい状態と言っていいと思う。
続く「娘がねじれる時」も似たような状況。
さすがにこれが最後まで続いたらちょっとなあと心配していたら、その後は修正されて大変聞きやすくなったけど、サウンドチェックどうしちゃったんだろう。
今回のツアーは、バンドは新メンバーでということなんだけど、スタッフも新しいのかなあ。ツアー初日だからいろいろあるとはいえ、陽水レベルでは考えられないような凡ミス。

そのせいか、陽水のMCも少なめだった。
「地元は関係者がたくさんいるのでやりにくい」と言ったのは、このミスのことを指していたのかもしれない。
あとは「サクラが満開の地元小倉でツアーを始められるのはうれしい」と繰り返すだけで、ほぼ演奏に集中していたステージだった。

それにしても生で聞く陽水の歌唱というのは凄い。つくづくと凄いと思った。
歌声は厚いのに澄み切っていてホールにびりびり響いてくる。キーは昔より多少は下がっているけれど、それを補って余りある声の張り。それも努力してめいっぱい歌っているという様子は少しもなくて、常に感じさせるのは「余裕」。
少し猫背気味に立った井上陽水が歌い出すと、その姿がどんどん大きく見えてくる。サングラスの向こうにいるのは舌なめずりして笑っている悪魔じゃないかと思わせるような迫力がある。
「ワインレッドの心」を「最初から僕の歌だよ」と言わんばかりに「普通に」歌い上げたあと、「リバーサイドホテル」「新しいラプソディー」と続けるともう最初の不調なんて完全にぬぐい去る陽水ワールドの到来。
いやいやいや、還暦を迎えようがこの歌い手は日本の宝。

今回のツアーは初めてのバンドということだったのだけど、以前のツアーをよく知らないので私には比較は出来ない。
ただ、ギター、ドラム(&パーカッション)、ベース、キーボードという最低限のユニットは、シンプルかつゴージャス。
特に目を引いていたのが紅一点のベース。女性のベースと言うだけで結構珍しいのに、いきなりアップライト・ベースで登場。まるでクラシック・コンサートのようなローブドレスで、ジャズベースのように激しく奏でるそのスタイルは当然注目を集めたけれど、演奏は十分に注目に応えるものだった。
終了後、「あのベース誰?」とささやく声がちらほら聞こえてきたけれど、そうだろうなあ、平均年齢50歳くらいのこの日の客層じゃ分からなくて当然。私だってあまりに意外な人物に最初は気づかなかった。

彼女はtokie。この名前でピンときた方は結構なロック好き。
長くニューヨークで活動し、帰国後はRIZE、ajico、LOSALIOSとロックど真ん中(だけど微妙にメジャーじゃない)を渡り歩き、現在はUNKIEでロック・インストというかなりマイナーな活動に挑戦中という、ばりばりのロックな方なのだ。
私はかつてBLANKEY JET CITYに入れあげていた頃があって、その流れでajico、LOSALIOSと聞いていると、かっこいい女性がベースをやっているじゃないですか。モデルみたいな容姿にアップライト・ベース。ずっと気になっていたお方ではあったのだけど、本人を生で見たのは初めて。持って行ったオペラグラスで見てたのは陽水じゃなくてtokie。もうきょうからファン。tokie命。

子どもの頃コントラバスをやっていただけあって、特徴的なのはアップライト・ベースと、エレキベースを弾き分けるその演奏スタイル。
井上陽水のステージでも、途中からエレキベースをぶら下げ(邪魔になるドレスのローブを後ろにひゅんと投げ上げる仕草がまたカッコいいんだこれが)、ギターと絡み合うように弾く。
定番中の定番「傘がない」は、このtokieのアップライトとギター、ドラムが存分に響きあい、オリジナルを十分に尊重しつつもまるでプログレっぽい重厚なロックになってた。

それにしても陽水、シブイところからいいミュージシャンを連れてくるよなあ。
還暦陽水、ロックの王道を進むのか?


  (曲リスト)
  1 Make-up Shadow
  2 娘がねじれる時
  3 POWER DOWN
  4 闇夜の国から
  5 ワインレッドの心
  6 リバーサイドホテル
  7 新しいラプソディー
  8 The STANDARD
  9 5月の別れ
  10 背中まで45分
  11 バレリーナ
  12 嘘つきダイヤモンド
  13 Just Fit
  14 限りない欲望
  15 氷の世界
  16 傘がない
  17 虹のできる訳

  〜アンコール〜
  18 心もよう
  19 少年時代
  20 夢の中へ

       (2008年4月4日北九州市 ウェルシティ小倉)


ラベル:井上陽水 tokie
posted by 紅灯 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月03日

江口司さんのこと

訃報というのはいつも思いがけないものだけど、こんなに思いがけなく訪れるとは思わなかった。
江口司さんの本業は看板業だ。
初対面の人には「シンナー中毒の江口です」と言って驚かせるのが昔は好きだったらしい。
二本の足で歩くのが大好きで、九州の山や海を訪ね、土地の人たちから話を聞き、写真に収める。いつしかそれは貴重な貴重な記録になった。
そして文化人類学者たちとの交流の中で、江口さんは自らの仕事は九州の人々の暮らしを記録するフィールドワークだと気づき、民俗学という分野に踏み行っていった。

江口さんは大変人なつこい人だった。人なつこいつもりだけの不作法な人間なら世の中にたくさんいるけれど、江口さんは年上にも年下にも態度の変わらない、本当に人なつこい人だった。
大変気前のいい人でもあった。それはそれは苦労して得た知識や体験でも、少しも惜しまずに人に分け与えた。酒やご飯をおごる人は多いけれど、かけがえのないものを人に与える人は多くない。だから江口さんには人に話すことがたくさんあったし、江口さんのまわりにはいつもたくさんの人が集まった。

江口さんは泳げなかったけれど海を愛した。九州脊梁と同じように海も好きだった。
だからその夜も釣りに出かけた。
それが最期だった。
翌日江口さんは浜に打ち上げられていた。
釣りのポイントに行く途中に、高さ10メートルの岸壁から足を滑らせたらしい。警察はそうみている。
それは今月1日の出来事で、いたずらの好きな江口さんのことだからきっとこれはたぶんエイプリルフールだよ、と誰もが言って小さく笑ったけれど、残念ながらそれはエイプリルフールではなかった。
その証拠に僕らはきょう、江口さんの葬式に行った。
還暦近い、立派なひげを蓄えたオヤジたちが声を上げ肩を震わせて泣いていた。

江口さんは死んでしまったが、江口さんが書いた本は僕の手元にある。
「不知火海と琉球弧」。
江口さんが九州の沿岸を歩き、奄美や沖縄の島々を渡り、たくさんの人々と会い、話をし、笑い、生きた記録だ。
この本が熊日出版文化賞を受賞したとき、江口さんは本当に嬉しそうだった。大学生の娘さんと喧嘩して、仲直りしたときのように無邪気に笑っていた。

「参ったな」
熊日の文化部長が何度もつぶやいていたよ、江口さん。
僕もそう言うしかない。
死んでしまうなんて、参ったよ。
江口さん。
参ったからもう一度、笑って欲しい。
posted by 紅灯 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする